詩篇4篇 寝床の上で、心の中で ―― 追われた者の夕べの歌

詩篇 by 929

「怒れ、しかし罪を犯すな。寝床の上で、心の中で言え」。ダビデがそう語りかけた相手は、彼を裏切った人々でした。ユダヤ教はこの一行から、一日を閉じる祈りの作法を受け取っています。3篇の朝に続く、夕べの詩です。

いつ詠まれるか

ユダヤ教には「寝床の上のシェマ」(ケリアト・シェマ・アル・ハミタ)という習慣があります。会堂で唱えたとしても、床に入ってからもう一度唱える ―― タルムード(ベラホート4b)でラビ・ヨシュア・ベン・レビがそう教え、ラビ・ヨセイが根拠に挙げたのが、この4篇の一行でした。続く5aでは、ラビ・イツハクが「寝床でシェマを唱える者は、両刃の剣を手に握っているようなものだ」と言います。眠りは無防備な時間です。そこへ、言葉をひとつ握って入っていく。

3篇は朝の詩でした。朝に唱えて出てゆき、夕に唱えて床に入る。詩篇の巻頭近くに、一日をはさむ二篇が並んでいます。

背景と作者

表題は「伶長に、糸の楽器に合わせて。ダビデの歌」。ラシーは、壇の上で楽を率いるレビ人たちのためにダビデが定めた詩だと説明します。青木先生はもう少し慎重で、「『伶長』の訳語が適当であるか否かは知らぬ」と書き添えています(13頁)。

作られた状況についての見立ては明快です。3篇と並んで、アブサロムの反乱を避けて逃れていた時の歌。3篇がその朝の作、4篇が夕の作だろう、と(13頁)。ユダヤ教が典礼の側から「夕べの詩」と受け取ってきたのと、同じ場所に立っています。

なおヘブライ語聖書は表題を1節と数えます。以下は口語訳と同じ番号を用います。

注解を通して読む

第1節「わが義の神よ」

先生はこの一行を「本篇の主意であり眼目である」と言い切ります。ダビデとアブサロムのあいだを正しく裁いてください、という祈りだ、と。第二句は口語訳を「迂遠である」と退け、原文の「狭いときに広くした」に沿って「窮地にて汝は我を齢(ひろ)やかならせ給へり」と訳し直しました(14頁)。ラシーもこの句を過去のこととして読みます ―― 「私の上を過ぎ去った日々において」。文法から入った先生と、伝統を継いだラシーが、同じ時制に着いています。

第2〜3節「人の子らよ、いつまで」

「人の子ら」を、先生は貴族を指すイーシュの子ら ―― アブサロム側の中堅と読みます(14頁)。ラシーも同じ語に立ち止まり、こちらはアブラハム・イサク・ヤコブを指すと解しました。続く「わが栄を恥に」を、ラシーは「彼らは私を『エッサイの子』としか呼ばない。私には名が無いのか」と読み、先生は王位王冠を敗軍の落人の姿に取り替えるのかと読む。切り口は違っても、踏まれているのはダビデの尊厳です。3節の「寵者」(ハシード)は「神の恩を受けた人」であって、口語訳の「神を敬う人」は当たらない、とも(15頁)。

第4節「怒れ、しかし罪を犯すな」

先生はここで思い切った選択をします。「慎み懼(おのの)け」を採る学者が多いと認めつつ、七十人訳に従って「汝ら怒れ」と訳した。原語ラガズの第一義は「怒る」であり、エペソ書4章26節も七十人訳のまま引用している、と(15頁)。ラシーは伝統側に立ち「おののけ」と取ります。二人が分かれた箇所です。

ただ、ユダヤ教の内側にも先生と重なる声がありました。ミドラッシュ・テヒリームのラビ・アハ ―― 「汝の傾き(イェツェル)を怒らせよ。しかし汝を罪に落とさせるな」。怒りを禁じるのではなく、矛先を変えよ、というのです。同じミドラッシュに、この篇のいちばんの読みどころがあります。町の会堂で祈りなさい。行けないなら家で。それもできないなら寝床で。声に出せないなら、心の中で思いなさい ―― その根拠がこの一行だ、と。会堂から家へ、寝床へ、心の中へ。場所は小さくなっていくのに、祈りは痩せません。

第5〜8節「義のいけにえと、偉大なる熟睡」

アブサロムは偽善的に燔祭を献げ、その祭を利用して反徒を召集しました。彼らがエルサレムで正式の燔祭を献げているとき、ダビデと部下はマハナイムの野にいて、祭壇も燔祭もない。だから「義」を燔祭として献げよと励ましたのだ ―― 燔祭の本当の意義は自己を屠って神に献げることにあり、心さえあれば何処に居ても出来る、と先生は書きます(15頁)。ラシーの注は一行、「行いを正しくせよ。そうすれば、いけにえを献げているのと同じである」。ミドラッシュはさらに、祭壇を築いて多くのいけにえを献げたのと同じに数えよう、と言います。祭壇のない場所で、祭壇を持つ者と同じことができる ―― 三つの声が、ここで一つになります。

そして最後の一行。「平らかに臥し又眠らん」では足りない、原文はもっと強い ―― 「平安の中に我は臥すと同時に眠らん」。床に入ったら直ぐに眠ってしまう。「偉大なる熟睡である」と先生は書きます(16頁)。続く「孤独」と「安全」の取り合わせを「奇抜にして妙味がある」と評し、ラシーもまた同じ二語に足を止めて、護衛の兵を置く必要がないのだと説明しました。ひとりであることが、孤立ではなく安全になる。

今日の私たちへ ―― 祈りとして

会堂に行けないなら、家で。家でも祈れないなら、寝床で。声に出せないなら、心の中で。この階段は譲歩の記録ではなく、いちばん外側の建物からいちばん内側の一点へ、まっすぐ降りていく道筋です。一日の終わりは、その降りていく時刻なのでしょう。しかもこの詩は、怒りを禁じません。ダビデが語りかけた相手は、彼を裏切った人々でした。その悔改を祈りながら、彼はその夜、深く眠っています。整った場所は私たちにもしばしばありません。それでも、心さえあれば何処に居ても出来る。夜ごとこの詩を詠むなら、それは声にならないものを心の中で差し出して黙する、その祈りになります。


今日のことば

詩篇 4:5(口語訳4:4)

רִגְזוּ וְאַל־תֶּחֱטָאוּ אִמְרוּ בִלְבַבְכֶם עַל־מִשְׁכַּבְכֶם וְדֹמּוּ סֶלָה

リグズー ヴェアル・テヘターウー、イムルー ヴィルヴァヴヘム アル・ミシュカヴヘム、ヴェドンムー セラ

怒れ、しかし罪を犯すな。寝床の上で、心の中で言え。そして黙せ。セラ

詩篇 4:8(口語訳4:7)

נָתַתָּה שִׂמְחָה בְלִבִּי מֵעֵת דְּגָנָם וְתִירוֹשָׁם רָבּוּ

ナタッター シムハー ヴェリッビー、メエート デガナーム ヴェティローシャーム ラッブー

あなたは私の心に喜びを与えてくださった。彼らの穀物と新しい酒とが豊かであった時にもまさって。

詩篇 4:9(口語訳4:8)

בְּשָׁלוֹם יַחְדָּו אֶשְׁכְּבָה וְאִישָׁן כִּי־אַתָּה יְהֹוָה לְבָדָד לָבֶטַח תּוֹשִׁיבֵנִי

ベシャローム ヤフダーヴ エシュケヴァー ヴェイシャーン、キー・アッター アドナイ、レヴァダード ラベータハ トシーヴェーニー

平安のうちに、私は臥すとともに眠る。主よ、あなただけが、私をひとり、安らかに住まわせてくださるからです。


本シリーズ「詩篇を詠む」は、詩篇を一篇ずつ、三つの声を重ねて読み解きます。ユダヤ教の伝統的な注解(ラシー『詩篇注解』、ミドラッシュ・テヒリーム=ショヘル・トヴ、タルムード各所)、日本の聖書学者・青木澄十郎『詩篇の研究 ―― 詩篇の直訳と略解』(基督教文書伝道会、1959年)、そして「いつ、どのように詠まれてきたか」という祈り・典礼の視点です。本文中のページ番号は同書によります。ヘブライ語のカタカナ音写は朗読の目安です。

▶ 詩篇ライブラリー(全150篇の目次)

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