「主よ、怒って私を責めないでください」。病の床で、罪の重さに沈む人の祈りです。詩篇6篇は、教会が古くから「七つの悔い改めの詩」の筆頭に数えてきた一篇。涙で寝床を漂わすほどの夜が、ここにあります。
いつ詠まれるか
この詩は、悔い改めの祈りとして詠まれてきました。青木先生によれば、6篇はキリスト教会で「七つの悔い改めの詩」(6・32・38・51・102・130・143篇)の一つに数えられ、レント(四十日の断食祈祷)などに用いられてきました。ローマ教皇インノケンティウス三世は、赦罪を願うときこの詩を唱えるよう定めた、とも記しています(22頁)。
背景には、古代ヘブライ人の感覚があります。物質的な幸い ―― 富や名誉や健康 ―― を神の祝福のしるしと信じ、不幸や病や貧しさを神の憎しみのしるしと感じる。ダビデが大病にかかったとき、彼はそこに自分の罪を見た、と青木先生は読みます(22頁)。バテシバのことが、彼の心を離れなかったのでしょう。病を、罪の報いとして受け取る ―― それがこの詩の底にあります。
背景と作者
表題は「伶長に、糸の楽器に合わせて。シェミニトの上に。ダビデの歌」。この「シェミニト」を、ラシーは八弦の琴だと説明します(歴代誌上15章21節)。青木先生は「第八番(オクターブ)」と関わる語と見て、低い音の楽器だろうと推します(21頁)。八弦か、低音か ―― どちらにせよ、楽器を指す符牒だという点で二人は重なります。
作られた時期について、青木先生はアブサロムの反乱の頃に置きます。ダビデは長いあいだ息子の謀反の計画を見ていながら、病のために断固たる処置を取れなかったのではないか、と(22頁)。病と罪と敵とに、同時に責められている ―― そういう八方塞がりの詩です。
なおヘブライ語聖書は表題を1節と数えます。以下は口語訳と同じ番号を用います。
注解を通して読む
第1節「怒りの中に責めないでください」
青木先生は、ここに二種類の懲らしめを見分けます。一つは義しい怒りによる刑罰、もう一つは慈愛による懲らしめ。ダビデが願うのは後者です。慈愛から出た懲らしめは、決して人を破滅させない ―― それは新約の思想と同じ「恩寵」の世界に入る、と(22〜23頁)。だから続く第2節「私を憐れんでください」も、青木先生は「あはれ」ではなく「恵み給へ」と読むべきだ、と書きます。罰してくださるな、ではなく、恵んでください、と。
第4〜6節「帰ってきてください、あなたの慈しみのゆえに」
「帰り給へ、ヤーウェよ」。ラシーはこの「帰れ」を、あなたの怒りから引き返してください、と読み、「私のたましいを救い出してください」を、私の病から、と注します。青木先生も、いつまでも苦痛が続くから神に見放されたような気がした、その叫びだ、と読みます(23頁)。
そして「あなたの慈しみ(ヘセド)のゆえに」。5篇7節に続いて、ここでもヘセドが祈りの根拠になります。功績ではなく、ただ神の変わらぬ慈しみに縋って、帰ってきてくださいと願う。
第6節「陰府(シェオル)にあっては、誰があなたに感謝するでしょう」。ここで青木先生は、旧約の来世観に長く立ち止まります。旧約の陰府は、地下の薄暗い、影のような場所。旧約の来世信仰は弱かった ―― 多神教の輪廻説に近づくのを避けたからかもしれない、と(23頁)。ヨブ記19章の「私は知る、私を贖う者は生きておられる」が、旧約で初めて立派な来世信仰・復活の希望を見せる。旧約の聖者でも、信仰の高潮した時にだけ、暗雲を破る電光のように来世信仰が輝くのだ、と先生は書きます(24頁)。ダビデのこの叫びは、まだその電光の前の、暗い夜のうちにあります。
第8〜10節「主は私の泣く声を聞かれた」
夜どおし涙で寝床を漂わせていた人が、ここで一転します。「私から離れよ、悪をなす者よ。主は私の泣く声を聞かれた」。暗い夜の底で、祈りが聞かれたという確信が差し込む。ラシーは、最後の「彼らは恥じて退く」を、終わりの日に神が悪しき者を二重に恥じ入らせる、という未来の審きに読みました。青木先生の描く病者の夜も、ラシーの見る終わりの日も、どちらも「泣く声は聞かれる」という一点に向かっています。
今日の私たちへ ―― 祈りとして
怒りの刑罰ではなく、慈愛の懲らしめを。青木先生がこの詩に見分けたのは、その違いでした。慈愛から出た懲らしめは人を破滅させない ―― だからダビデは、罰を免れさせてくださいとは祈らず、恵んでください、あなたの変わらぬ慈しみのゆえに帰ってきてください、と祈ります。夜どおし涙で寝床を漂わすほどの苦しみのなかでも、彼は神が泣く声を聞いてくださると信じています。病を、罪を、敵を、同時に抱えた夜に、この詩を声に出すとき、それは絶望の記録ではなく、暗雲を破る電光を待つ祈りになります。
今日のことば
詩篇 6:5(口語6:4)
שׁוּבָה יְהֹוָה חַלְּצָה נַפְשִׁי הוֹשִׁיעֵנִי לְמַעַן חַסְדֶּךָ
シューヴァー アドナイ、ハッレツァー ナフシー、ホーシーエーニー レマアン ハスデハー
帰ってきてください、主よ。私のたましいを救い出し、あなたの慈しみのゆえに、私を救ってください。
詩篇 6:6(口語6:5)
כִּי אֵין בַּמָּוֶת זִכְרֶךָ בִּשְׁאוֹל מִי יוֹדֶה־לָּךְ
キー エイン バンマーヴェト ズィフレハー、ビシュオール ミー ヨーデ・ラーフ
死のなかには、あなたを覚えることがありません。陰府にあって、誰があなたに感謝するでしょう。
詩篇 6:9(口語6:8)
סוּרוּ מִמֶּנִּי כׇּל־פֹּעֲלֵי אָוֶן כִּי־שָׁמַע יְהֹוָה קוֹל בִּכְיִי
スールー ミンメンニー コル・ポアレイ アーヴェン、キー・シャマ アドナイ コール ビフイー
私から離れよ、悪をなす者よ。主は、私の泣く声を聞かれたのだ。
本シリーズ「詩篇を詠む」は、詩篇を一篇ずつ、三つの声を重ねて読み解きます。ユダヤ教の伝統的な注解(ラシー『詩篇注解』、ミドラッシュ・テヒリーム=ショヘル・トヴ、タルムード各所)、日本の聖書学者・青木澄十郎『詩篇の研究 ―― 詩篇の直訳と略解』(基督教文書伝道会、1959年)、そして「いつ、どのように詠まれてきたか」という祈り・典礼の視点です。本文中のページ番号は同書によります。ヘブライ語のカタカナ音写は朗読の目安です。



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