夜、月と星を見上げて、人は自分の小ささに打たれます。詩篇8篇は、その大きな天から始めて、かえって小さな人間を天よりも高く歌い上げた詩です。同じ一行で始まり、同じ一行で閉じる ―― 「主よ、我らの主よ、あなたの名は全地にいかに優れていることでしょう」。
いつ詠まれるか
固定した典礼の枠はありませんが、青木先生は、パレスチナのように空気の澄んだ国では夜の天がとりわけ美しく、その仰ぎ見る星空からこの詩が生まれたのだろう、と書きます(29〜30頁)。夜、天を見上げる時の詩です。
なお、この詩の第2節「幼子と乳飲み子の口によって、あなたは力を打ち建てられた」は、新約でイエスが引きました。子どもたちが宮で「ホサナ」と叫び、祭司たちがそれを憤ったとき、イエスは「幼子と乳飲み子の口に、あなたは賛美を備えられた」と、この一句で答えられたのです(マタイ21章16節)。三千年前の星空の歌が、宮の子どもの歓呼のなかで、もう一度響きました。
背景と作者
表題は「伶長に、ギティトに合わせて。ダビデの歌」。この「ギティト」を、青木先生は楽器の名か曲の名か不明としつつ、タルグム(ユダヤ教の注解)が「ダビデがガテで得た琴」と訳し、七十人訳が「葡萄の圧搾器」と訳したことを紹介します。ガテ出身の兵六百人を抱えていたダビデの、ガテふうの曲かもしれない、と(29頁)。
面白いことに、ラシーもまったく同じ二つの読みを並べます ―― 一つは「ガテから来た楽器(ガテには職人がいた)」、もう一つは賢者たちの「葡萄の圧搾器のように踏まれる」という読み(イザヤ書63章3節)。青木先生のタルグムと七十人訳、ラシーの二つの伝承 ―― 別々にたどっても、同じ「ガテの楽器」と「圧搾器」の二筋に行き着きます。同じ表題を持つ81篇・84篇がエルサレム詣での祝歌であることから、これも明るく楽しい曲だろう、と青木先生は見ています(29頁)。
なおヘブライ語聖書は表題を1節と数えます。以下は口語訳と同じ番号を用います。
注解を通して読む
第3節「あなたの指のわざ」
青木先生が目を留めるのは、ダビデが「手」ではなく「指」と言ったことです。「あなたの指の製作なる天」―― 腕や手を動かすまでもなく、指だけで造られたかのように、この大空を歌った(31頁)。天を摩する山も、際涯なき海も、月も星も、神の指先のわざにすぎない。ベツレヘムの野で青草のなかに神の署名を見出したダビデらしい一句です。
第4節「世人とは何者なのか」
「世人(エノーシュ)は何者なので、あなたはこれを覚えられるのか」。青木先生は、ここに使われた原語エノーシュが「弱く脆い人間」を指す語だと注します(31頁)。人は幾万年のあいだ、同じ月、同じ星の下に生まれ、同じ星の下に死んでいった。月や星のほうが、脆い人間よりずっと永く続く ―― そう並べておいて、詩は次で反転します。
第5〜8節「栄光と尊貴を冠らせて」
事実は逆だ、と青木先生は言います。人間こそ神の像であり、万物を治める権を与えられている、と詩は歌う(30〜31頁)。羊や牛から始めて、獣、空の鳥、海の魚、未知のすべての生き物にまで、人の足の下に置かれる。月や星は幾百億年の後に潰滅するが、人の霊は永遠に亡びない ―― 神の生気が吹き込まれた者(創世記2章7節)、神の像に造られた者(創世記1章27節)だからだ、と(31〜32頁)。
そしてこの理想の人間像は、青木先生の見るところ、キリストにおいてのみ実現しました。ヘブル書2章6〜9節、コリント第一15章27節が、この詩をキリストの預言のように引用しています(30頁)。小さく脆い人間に、永遠の霊が宿っている ―― それを思うとき、私たちは自分の姿を見直さねばならない、と先生は書きます(31頁)。
今日の私たちへ ―― 祈りとして
星空の下で、人は小さい。幾万年も同じ月の下に生まれては死んでゆく、脆い存在です。それでもこの詩は、その小さな人間に神が栄光と尊貴を冠らせた、と歌います。天が神の指のわざなら、その指がわざわざ心に留めてくださったのが、この小さな私たちなのです。夜、天を見上げてこの詩を声に出すとき、それは自分の小ささに沈む嘆きではなく、小さな者に宿された永遠を思い出し、「主よ、我らの主よ」と初めと終わりに二度くり返す、その賛美になります。
今日のことば
詩篇 8:4(口語8:3)
כִּי־אֶרְאֶה שָׁמֶיךָ מַעֲשֵׂה אֶצְבְּעֹתֶיךָ יָרֵחַ וְכוֹכָבִים אֲשֶׁר כּוֹנָנְתָּה
キー・エルエ シャメハー マアセ エツベオテハー、ヤレーアハ ヴェホーハヴィーム アシェル コーナンター
あなたの指のわざである天を、あなたが備えられた月と星とを、私が見上げるとき ――
詩篇 8:5(口語8:4)
מָה־אֱנוֹשׁ כִּי־תִזְכְּרֶנּוּ וּבֶן־אָדָם כִּי תִפְקְדֶנּוּ
マー・エノーシュ キー・ティズケレンヌー、ウヴェン・アダーム キー ティフケデンヌー
人とは何者なので、あなたはこれを心に留められるのか。人の子とは何者なので、あなたはこれを顧みられるのか。
詩篇 8:10(口語8:9)
יְהֹוָה אֲדֹנֵינוּ מָה־אַדִּיר שִׁמְךָ בְּכׇל־הָאָרֶץ
アドナイ アドネーヌー、マー・アッディール シムハー ベホル・ハアーレツ
主よ、我らの主よ、あなたの名は全地に、いかに優れていることでしょう。
本シリーズ「詩篇を詠む」は、詩篇を一篇ずつ、三つの声を重ねて読み解きます。ユダヤ教の伝統的な注解(ラシー『詩篇注解』、ミドラッシュ・テヒリーム=ショヘル・トヴ、タルムード各所)、日本の聖書学者・青木澄十郎『詩篇の研究 ―― 詩篇の直訳と略解』(基督教文書伝道会、1959年)、そして「いつ、どのように詠まれてきたか」という祈り・典礼の視点です。本文中のページ番号は同書によります。ヘブライ語のカタカナ音写は朗読の目安です。



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