ケドシーム レビ記19章1節〜20章27節

レビ記

今週の聖書(パラシャット・シャブア)

4月25日(日)〜5月1日(土)
アハレイ・モットレビ記16章1節〜18章30節

ケドシームレビ記19章1節〜20章27節

今週は2枠読みます。

ケドシームについて 

 パラシャット・ケドシームのケドシームは、レビ記19章2節の「私は、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」の「あなたがたは聖である」からきています。 

 19章は父と母を敬うこと、安息日を守ることなどモーセの十戒から始まり、畑やブドウ畑には落ち穂や落ちた実を貧しい人や寄留者のため残しておくこと、盗みや偽証の禁止、隣人をしえたげたり不正を行ってはいけないこと、家畜に異なった種をかけないこと、二種の種を畑にまかないこと、二種の糸の織物を着ないことなど、詳しく生活の仕方が書かれています。 

 なかでも20章ではモレクの神に子供を捧げないことや近親相姦の禁止が述べられています。その理由は、23節に神が導き入れようとするカナンの地の民がこれらのことを行っていたからとあります。 

 26節には「主なる私は聖なるもので、あなたがたを私のものにしようと、他の民から区別したからである」と記されています。 19章、20章で「私はあなたがたの神、主である」「私は主である」がそれぞれ7,8回出て来ます。イスラエルの民を愛する神の愛が、いかに強烈であったかが分かります。 

 19章18節に有名な教え「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」があります。 この教えは19章、20章全体の一部として読んだ方がよいのではないかと思います。この教えをそのまま実行するとなると難しいと思いますが、イスラエルの神が、いかに民を愛しているかを知り、お互い愛し合えるようになるとうなずけます。 

 この愛はイスラエルの民ばかりでなく、19章34節のように他国の寄留者にも向けられていますし、新約では、隣人とは誰ですかとの問いにイエス・キリストが良きサマリヤ人の譬えをもって、当時ユダヤ人から嫌われていたサマリヤ人こそがまことの隣人であったことを示し、愛は議論ではなく実践すべきだと教えられました。。

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