エモール レビ記21章1節〜24章23節

レビ記

今週の聖書(パラシャット・シャブア)
5月2日(日)〜5月8日(土)
エモール
レビ記21章1節〜24章23節

 パラシャッ・エモールのエモールは、レビ記21章1節の「アロンの子なる祭司たちに告げて」の告げるにあたります。主がモーセを通してアロンの子である祭司達に述べられた内容をこのパラシャ―は扱っています。それは「彼は(祭司)はあなたにとって聖なる者でなければならない。あなたがたを聖とする主、即ち私は聖なる者だからである」(21章8節)とありますように、まず祭司の聖別が求められています。具体的なこととして近親のもの以外の死人に近づいて身を汚してはいけないこと、頭を剃ってはいけないこと、鬢を剃ってはならない、身を傷つけてはならない、遊女や汚れた女を娶ってはならない、祭司の娘は淫行で身を汚すならば火で焼かれるなどが述べられています(21章2-9節)。

 さらに大祭司はもっと聖別が求められました。死人に近づくのはもちろんのこと、父母が死んでもそれを嘆いて髪を乱したり、衣を裂いて、身を汚してはなりませんでした。聖所を汚してはならない。妻は処女でなければならない。なぜなら大祭司は頭に注ぎ油が注がれ、職に任ぜられたからとあります(21章10節)。

 またアロンの子孫で身に傷のある者は、火祭を捧げられず、祭壇や垂れ幕にも近づけず、神の食物を捧げられませんでした。22章ではアロンの子孫はもし汚れていれば、イスラエルの人々が捧げる聖なる食物には、一切近づくことも、食べることも禁止されていることが書かれています。

 またイスラエルの人々も傷のあるものは牛であれ、羊、あるいは山羊でも燔祭や酬恩祭として捧げることができませんでした。なぜか、これは神の聖なる名を汚してはならなかったからです。ここに祭司が聖なる神に仕えるための必要条件が書かれているのです。しかし汚れるから死んだ人に近づいてはならないとは、なにも死人の悪魔的力が感染して汚れるからではなく、死んだものを礼拝の対象にするのでなく、あくまでも生きている聖なる神を拝すべきだからです。

 23章では聖なる生活を送るためには、時間を聖別するために大事な祭りが挙がられています。まずは安息日、次に出エジプトを記念する過ぎ越しの祭り、初穂の祭り、七週の祭り(ペンテコステ)、新年祭、大贖罪日、仮庵の祭りと一年を通じて、イスラエルの民がいかに聖なる時を過ごして聖なる民となるべきかが書かれています。

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