ピネハス 民数記25章10節〜30章1節

民数記

パラシャット・ピンハスのピンハスは、民数記25章7節の「祭司アロンの子のエレアザルの子ピンハス」から来ています。ピンハスは、イスラエの民がモアブの異邦の神ぺオル・バアルを拝み、罪を犯したとき、主の怒りを自分のこととして、一人のイスラエル人とミデアンの女コズビを殺害して民の罪を除いたので、疫病はおさまったとあります。その結果、彼の子孫が祭司職を永遠に務めるとの平和の契約が結ばれます(25章6-13 節)。それは「彼がその神のために熱心だからでした」(同13節)と書かれています。「熱心」と訳されているキネー、キヌアーは「怒り、憤激、妬み」などとも訳されています。

このような主の熱心に突き動かされるようなピンハスでしたが、26章でイスラエルの民の人口調査がなされて、モーセの後継者が選ばれるときに後継者となったのはピンハスではなく、ヌンの子ヨシュアでした。モーセ自身はチンの荒野のメリバの水の所で神の聖なることを現わさなかったために、約束の地に入ることはできない状況、またイスラエルの民もシナイ山の麓で数えられた人々はエフンネのカレブとヌンの子ヨシュア以外は全て死に絶えて、新しい世代の人々でした。

27章15節でモーセは後継者として「すべての肉なるものの霊なる神よ、民を導き出し、導き入れる牧者のような一人の人を立て下さい」と祈っています。それに対し、神は「神の霊の宿っているヌンの子ヨシュアにあなたの手を置き、あなたの権威を分け与え、イスラエルの全会衆を彼に従わせなさい」と答えられました。

やはり神の大業を果たすには神の霊を宿す者でなくては果たすことはできません。さらにモーセの権威の原語は「マフート」でモーセの本質とも訳せる語です。モーセができなかったことを受け継ぐには、その本質を継承しなくてはならいない。ここに神の民イスラエルが受け継ぐべきものが何であるかをあらためてうかがい知ることができます。

コメント