パウロという人 ── 生まれ、育ち、プロフィール(人物篇02)

手紙を読む前に、まず書き手のプロフィールを一枚にまとめておきたい。どんな土地で、どんな家に生まれ、何を身につけて育ったか。それを知るだけで、手紙の一語一語の手ざわりが変わってくる。木下順治『パウロ——回心の伝道者』の前半(I〜III章)に沿って、整理する。

【プロフィール】

名前サウロ(ヘブライ名)/パウロ(ローマ名)
生地キリキヤのタルソ。商業で栄え、ギリシャ的な学問の香り高い都市(アテネ・アレキサンドリアと並ぶ大学の町)
民族・家系ユダヤ人、ベニヤミン族(ピリピ3:5)。ファリサイ派の家庭。タルソの市民団に属する由緒ある家柄
市民権「生れながらローマの市民」(使徒22:28)。ユダヤ人でありながらローマ市民という二重の立場
職業天幕造り(使徒18:3)。キリキヤ布や皮をなめして天幕を作る手仕事。父から受け継ぎ、生涯これで自活した
教養ギリシャ的学問(ストア派の哲学者を輩出したタルソの空気)+旧約聖書とファリサイ神学
学びエルサレムに遊学し、ガマリエルのもとでラビの熱心な学徒として律法を学ぶ(使徒22:3)
言語ヘブライ/アラム語、そしてギリシャ語(旧約もギリシャ語で親しんだ)

【育ちの物語】
パウロが「わたしは生れながらローマの市民である」と誇らしげに言えた(使徒22:28)背後には、タルソでの家系の歴史があった。木下によれば、タルソのユダヤ人たちはローマの支配によく協力し、市民権を得て高い地位にあった。パウロは、その特権をもつ家に生まれている。

家庭は敬虔なファリサイ派だった。母の祈り、安息日の礼拝、祝祭日の行事、旧約聖書の朗読——そうした空気の中で、彼は「初めから自国民の中で……パリサイ人としての生活をしていた」(使徒26:4〜5)。同時に、将来社会人として立てるよう、しっかりと手に職をつけさせられた。それが天幕造りである。父の仕事を、幼いイエスが大工の父ヨセフの手わざを覚えたように、見て覚えたのだろう。木下はさらに、パウロの父が手仕事に加えて金融にも通じていたらしいと見て、「損する」「得する」といった商売の言葉がパウロの手紙に自然に出てくるのは、若い日に父のもとで耳にしたものだろう、と指摘する。

タルソはギリシャ的教養の都市でもあった。ストア派の名高い哲学者がローマ皇帝の教育係を務め、その学者を慕う学生が群がる——そんな学問の空気が、若きパウロの魂に大きく染み込んでいた。やがて彼はエルサレムへ上り、名高いラビ・ガマリエルの門下で、誰よりも熱心な律法の学徒となる。

【木下が見るポイント】
木下は、パウロが若い日に受けたものを四つに整理する。(1) 家庭で受けたファリサイ派の信仰、(2) 生涯を支えた職業訓練(天幕造り)、(3) ギリシャ的都市タルソの高度な学問、(4) 東洋の習俗。ユダヤの信仰と、ギリシャの教養と、ローマの市民権と、手に職。この複数の世界をまたぐ育ちこそ、のちに彼が「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のように」福音を運べた土台だった。木下はまた、タルソの市民団の仲間(アンデロニコやユニアスら、ロマ16:7)が、パウロより先にキリスト者になっていたことにも触れる。彼は最初から一人ではなかった。

【私の受け取り】
育ちを知って、印象が変わった。私はパウロを、頭でっかちな神学者のように思っていた。けれど彼は、皮をなめし、糸を織り、汗をかいて自分のパンを稼いだ職人でもあった。テサロニケで「夜昼はたらきながら」伝道したあの手は、若い日に父の仕事場で覚えた手だ。学問と労働、信仰と生活が、彼の中で分かれていない。近寄りがたい理屈の人ではなく、複数の世界に足をかけ、手を動かして生きた人——そう思うと、少し近づける。

【今日への一行】
パウロは、学者であり職人だった。信仰と生活は、彼の中で一つだった。

底本:木下順治『パウロ——回心の伝道者』(筑摩書房、1986年)I 父祖の地、キリキヤのタルソ/II 若き日のパウロ/III エルサレム遊学より。聖書引用は口語訳。

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