パウロの伝道には、はっきりした型がある。どの町でも、彼はまずユダヤ人の会堂で語った。同胞に、旧約の続きとしてイエスを告げる。そして多くの場合、そこで拒まれ、追われ、異邦人(ギリシャ人)へと向き直る。「異邦人の使徒」(ロマ11:13、ガラ2:8)と呼ばれる彼の働きは、この繰り返しの中で形になっていった。
【消えない痛み】
だが、異邦人へ向かったからといって、彼は同胞を見捨てたのではない。むしろ逆だ。ローマ書9〜11章で、彼は同胞ユダヤ人のために、胸を裂くような言葉を書く。「もしできることなら、兄弟たち、肉による同族のためには、わたしのこの身がのろわれても、キリストから離されてもいとわない」(ロマ9:3)。自分が救いから切り離されてでも、同胞に救われてほしい——それほどの痛みを抱えていた。福音は「まずユダヤ人に、次にギリシャ人に」(ロマ1:16)——どちらも、彼の心にあった。
【木下の視点】
木下は、この二重の宛先を可能にしたのは、パウロの育ちだと見る。ユダヤの信仰、ギリシャの教養、ローマの市民権——複数の世界をまたいで育った彼だからこそ、その境を越えて福音を運べた。彼は、二つの世界のあいだに立つ橋のような人だった。
【私の受け取り】
私はパウロを「ユダヤを捨てて異邦人に走った人」と単純に思っていた。違った。彼は最後まで、同胞を愛し、痛み続けた。切り捨てたのではなく、両方を抱えて引き裂かれていた。人を分ける壁の上に立ち、どちらも手放さなかった——その苦しさを知ると、彼の広さが尊く見えてくる。
【今日への一行】
彼は二つの世界の境に立ち、どちらも手放さなかった。橋になる人は、両側で引き裂かれる。
底本:木下順治『パウロ——回心の伝道者』(筑摩書房)VII章ほか。ロマ1・9〜11章。聖書引用は口語訳。


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