パウロの生涯は、戦いの連続だった。その戦いには、外の戦いと内の戦いの二つがあった。
【外の戦い】
行く先々で、彼を敵視するユダヤ教徒が妨害した。教会の中にも、「割礼と律法を守れ」と迫るユダヤ主義者が入り込み、生まれたての群れを揺さぶった(ガラテヤ書は、これとの戦いの書だ)。コリントには、自分を「大使徒」と称してパウロを見下す偽使徒たちが現れた(Ⅱコリント11章)。彼は、福音を守るために、これらと正面から戦い続けた。
【内の戦い】
だが、もっと手強い戦いは、自分自身との戦いだった。回心したあとも、彼の内側の葛藤は消えなかった。
わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。……ああ、わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。(ローマ7:15、24)
【私の受け取り】
この告白に、正直、救われる。回心して神の力に触れた人が、なお「なんというみじめな人間だろう」と呻いている。パウロは、聖人になって戦いを卒業したのではない。外とも内とも、生涯戦い続けた。だからこそ、彼の「信仰を守り通した」という最後の言葉は本物になる。楽々と勝った人ではなく、みじめさを抱えながら、それでも踏みとどまった人。私の中の同じ戦いを、彼は知っている。
【今日への一行】
パウロは戦いを卒業しなかった。外とも内とも、みじめさを抱えたまま、踏みとどまり続けた。
底本:木下順治『パウロ——回心の伝道者』(筑摩書房)。ガラテヤ/Ⅱコリント11/ローマ7章。聖書引用は口語訳。


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