小括 ── いま、私はパウロを尊敬できるか(人物篇15)

この人物篇の最初(序01)で、私は正直に書いた。「パウロを心から尊敬できない」と。断定的に見える、イエスに会っていない、迫害者だった、激しい——引っかかりを並べた。人物篇を辿り終えたいま、あの問いに、自分の言葉で答えたい。

【たどってきたもの】
育ちを知り(02)、迫害者の内なる揺れを見(03)、愛に打たれた回心に触れ(04)、それが一度で終わらなかったことを知った(05)。沈黙し(06)、引き上げられ、ぶつかり(07)、二つの世界に引き裂かれ(08)、殴られ漂いながら歩き(09)、弱さを誇り(10)、地味な習慣で火を保ち(11)、外とも内とも戦い(12)、覚悟してエルサレムへ上り(13)、走りきって倒れた(14)。

【木下の結び】
木下は終章でこう書く。パウロは「真のユダヤ人」であり、イエスの示した新しい命の道を生きぬき、イスラエルの遺産をユダヤ民族の枠を越えて、すべての人類の光とした。そして——「割礼(=この世の特権や誇り)があってもなくても問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである」(ガラテヤ5:6)。

【私の受け取り】いま、尊敬できるか
できる、と今は言える。断定的に見えた激しさは、恵みを守る本気の裏返しだった。迫害の過去は、揺れる一人の人間の証だった。彼は完璧だから尊敬できるのではない。弱いまま、冷めやすい心をなだめすかし、とげを抱えて、それでも最後まで燃やし続けたから、尊敬できる。序で挙げた引っかかりが、全部消えたわけではない。だがもう、彼の言葉は「他人の言葉」ではない。ここから、書簡篇を——彼の手紙そのものを、自分のものとして読んでいける。

【今日への一行】
完璧だからではなく、弱いまま燃やし続けたから、尊敬できる。もう彼の言葉は、他人の言葉ではない。

底本:木下順治『パウロ——回心の伝道者』(筑摩書房)終章より。ガラテヤ5:6。聖書引用は口語訳。人物篇・完。

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