20180929:創世記1-2章「天地創造」

よむ会の記録

本日は、大変貴重な時間をいただき記念すべき第一回の聖書をよむ会を無事に終了しました。
本日お集まり下さいました方、この場をお借りしてお礼申し上げます。
せっかく、創世記を読み、いろいろな意見がでましたので議事録としてこのブログに残しておきます。

結論的に今日は創世記の1章から2章までしか読み進められませんでした。
あまりにも深く、理解し難く、それでいてダイナミック、ロマンチックと言っていいのでしょうか?
私も何点か、みなさんと読んで再発見いたしました。
・創世記の天地創造は何も無いところから、神が天と地を創造された。
・地は形なく、混沌としていた。。。
・光があった。。。
・昼と夜が創造された。。。。

この光ってなんだろう?どんなひかりだろう?
創造の世界ですね。。。

そこで話されたことで、
「もともと今でも昔でも、この世界は闇で、光が存在するから私たちは生きて、
いろいろなものを見ることができる・・・・」
なるほど!

人は神のかたちに創造された。。。。
この「かたちに」が聖書の原文の単語を見ると影だったり、
写すというおそれ多いが、聖書の思想では
神の姿を現しているのが人という。。。。

おお、、、。

神は種を創造され地に蒔かれている。。。
まだ完成されていない種を地に蒔かれた。。。

この種というのも、なんか奥が深いなぁ!

人は土のちりより創造され、息を吹きかけられて生けるものになった。。。。
この息というのも聖書の原文で霊という
3章には、ちりから生まれてちりに帰るとあるが人の肉体は土、
そこに神の霊が入って生けるものになった!
宗教的ですね!

あと、いろいろな意見が出ました。
聖書学者さんがいて教えていただく訳でなく普段、
あまり読まない聖書の創世記をみなさんでワクワクしながら読むことができました。

今日は、創世記の天地創造を読みながら人類の、
いやすべてのものの存在意義を考えさせられました!

次回は、読めなかった創世記3章そして、予定の4章5章を読んでいきます。

実は、次回は秋田からイスラエル歴史学を学ばれた上野正先生が
ぜひ参加したいということで来られる予定です!
少しずつですが聖書を読みながら普段とは違う時間を過ごしたいと思います!

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