◇エステル記 主な登場人物紹介
- モルデカイ:ユダヤ人でおじの娘(いとこ)のハダッサ(エステル)を引き取って養い育てた人物
- エステル:ユダヤ人であることを隠し、名前を変えて王様に気に入られて王妃となる人物
- アハシェエロス王:インドからエチオピアまでの127州を納めたペルシャの王様(B.C479-475))
- ワシテ前王妃:アハシェエロス王の怒りをかって、エステルに王妃の座を奪われた前王妃
- ハマン:王の次に権力を持つ大臣で、自分を敬わないモルデカイに腹をたて、ユダヤ人を根絶やしにしようとする。
◇エステル記とは
エズラ記、ネヘミヤ記は捕囚の地よりどのようにしてイスラエルの地に帰還したかを述べているのみですが、ユダヤ人が連れていかれた捕囚の地にてどのように生活していたのかを詳しく述べているのは、このエステル記のみです。ですから、この書は捕囚の地における歴史的アプローチといえます。
また、反シオニズム(アンチセミニズム)注:1とアンチフェミニズム注:2についても描かれています。
◇その民族的背景について
エステル記では、モルデハイはユダヤ人です。彼を貶めようとするハマンはアガグ人です。このアガグ人の王はかつて、イスラエルの初代王様のサウル王が、神の命令に反して殺さなかった王です(サムエル記上15:8)。このことはサウル王の罪となり、王位の退位につながります。
アガグ王はアマレク人であり、ハマンもアマレク人の末裔(8:5参照)であり、ユダヤ人を殺そうとします。アマレク人とイスラエル人との争の出来事です。
この関係は、聖書の初めから記している事柄です。
もう少し詳しく見ますと、
モルデハイ(2:5~)はキシのひこ、シメイ(サムエル記下16:5~)の孫、ヤイルの子で、ベニヤミン人であった。とあります。ベニヤミンの父はヤコブです。
一方、ハマン(8:5)はアガグ人ハンメダタの子ハマン、とあります。アマレク人とありますので、アマレク(創世記36:1~14)人とはエソウの末裔ですね。
エソウは、ヤコブに騙されたといって、ヤコブを恨み、妬み殺そうとします。歴史的にみられますように、ヤコブとエソウの時代より反目が記さています。
この「父祖の行為は、子孫への道標なり」の教えは、もし、父が良きことをするなら、子はそれを学ぶでしょう。もし、父が悪しきことをするなら、それに習わずに、同じことをしない生き方をするでしょう。むしろ、父の犯した罪を修復(ティクン)するでしょう。
反シオニズム(アンチセミニズム)注:1
次に根について。何故ユダヤ人が迫害されたのかは述べられてはいないが、モルデハイがハマンに跪くことを拒んだために、彼一人を恨むのではなく、彼の所属するユダヤ民族を恨み、滅ぼそうとする。
アンチフェミニズム注:2
王妃ワシテに酒宴来るように命じたが、拒否したために殺した? 王に仕える大臣の妻らもワシテに倣い、主人を敬うことをしないから、とのことで夫たる男性の統治が強まる。
聖書の根底に流れている一つの教えがある。
それは、父祖の行為は、子孫への道標なり
マアセー アボット シマン レバニーム מעשה אבות סימן לבנים
といいます。この一例として、ヨシュア記4:5~6に、「ヨシュアは彼らに言った、『あなたがたの神、主の契約の箱の前に立って行き、ヨルダンの中に進み入り、イスラエルの人々の部族の数にしたがって、おのおの石を一つを取り上げ、方にのせて運びなさい。これはあなたがたのうちに、しるしとなるであろう。後の日になって、あなたがたの子どもたちが、これらの石はどうしたわけですか、と問う』」
◇エステルという名について
エステル、という名前について。エステルはユダヤ人です。彼女の初めの名前は、ハダッサでした。それが、宮廷に招かれてからは現地の言葉で、エステルと名乗るようになりました。
エステルは、ヘブライ語的には、「隠ぺい、隠されている」という意味があります。王妃ステル自身も叔父のモルデハイから、自身がユダヤ人であることを隠せと言われています(2:19~)。
それは、エステル記は10章という短い聖書記事ですがそこには、一切『神、主』を表す言葉がありません。神の名前が本文中に隠されていますから、これぞ神の業であると、隠れたところにいます神を見出すのも学びの一つです。
エフライム.A 著