エステル記2章 モルデカイとエステル

エステル記の話

 1節の冒頭に「これらのことの後」とありますが、これは? 大臣の一人メムカンの提案を受けてワシテ王妃を退けました。またワシテ王妃に対する怒りが解けたころ、王妃に対して定めたことを思い返した、とあります。怒りが解けた、ことは王の心が和らいできました。
 そのことは、酒の場での出来事(1章後半)でしたから、時を経て、なんてことを自分はしてしまったと、一時の怒りで王妃を廃しました。

 2節に「時に王に仕える侍臣たちに・・」とありますが、ここは「若い侍臣」という文字が訳されていません。

 王様の寂しい気持ちを汲んだ若い侍臣たちがワシテ王妃に代わる女性を探そうと提案しました。なんで若い侍臣たちは、こんな提案をしたんでしょうか?王妃ワシテを許して再びそばに召されてはいかがですか、との提案もできたでしょうのに。
いや、もうすでに全国におふれを発布しているからできないでしょう。

 王様ですから訂正の命令も可能でしょう。しかし、そうではないのは、ワシテ王妃は王様の侍臣たちに嫌われている、という事実が大きいでしょうね。王妃として復権して、力を誇示されては困る、と思ったのでしょうか。王様はただ、怒りが解けた、としか聖書は記してはいません。王が若い乙女を探せ、とは記してはいません。彼女に対して定めたこと、は原文では「ひどい決定を下した」場合によっては「ワシテ王妃を処断した」とも読める言葉です。

3節を読むと、若い侍臣たちは、随分と細かく提案しています。

 婦人をつかさどる王の侍従ヘガイの管理のもとに置いて。このような役職があったんですね。ヘガイは男性ですから宦官です。そして御意にかなうおとめをとって、ワシテに代わりに王妃としてください、と願っています。

1節から4節には、メムカンの提案を認めて王は127州の統治国内におふれを出し、若い乙女を集めることが始まりました。 

そして、いよいよエステルの登場とはなります。

5節以降、モルデカイの系図が記してありますが、系図については 前回ひも解きましたように、キシのひこ(これはベン・子供です)。シメイの孫ですが、サウル王はキシの子供です(サムエル記上9:2)、シメイはダビデ王を呪い(列王記上2:8~9)、のちにソロモン王によって殺されます(列王記上2:39~46)。
このような王家に反するような血筋の家系ですが、修復の命が働いて後の世にはモルデカイを神は用いてイスラエルを救われます。これがティクン(修復)です。
ここも「父祖の行為は,子孫への道標である」を見ることができます。

6節、ネブカデネザルは紀元前587年エルサレムの第一神殿を崩壊した王です。
その時にバビロンに捕囚となった一族の末裔と記してあります(列王記下24:10~17)。エルサレムを滅ぼしたバビロニア帝国は後にペルシャに滅ぼされていきます。バビロンに捕囚となったユダヤ人はペルシャ帝国の王クロスにより解放宣言(BC538)でイスラエルに帰還がかなうのです(イザヤ書40章)。エステル記2:6にある王エコニアとは列王記にあるユダの王エホヤキンと同一人物です。

モルデカイはそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを養い育てた(7節)。とありますが、エステルの名前はここで初めて出ますが、おじの名前は記してありません。

エステルとは現地の言葉では「星」という意味です。ハダッサとは小さな白い花の咲くミルトス(ラテン語)という香りを放つ植物です「邦語では桃金嬢(テンニンカ)」と呼ばれる。おじの名前はアビハイル(2章15節)です。ハダッサの両親は早くに亡くなったでしょうから、モルデカイが引きとって自分の娘として育てました(2:7)。

7節に、おじの娘ハダッサを養い育てた(אומןオメン、民数記11:12参照)とありますが、モルデカイはどんな育て方をしたでしょうか。教育したとは書いてなくて、このオメンという言葉は、「訓練する、鍛える」という意味です。

容姿のよい娘ですが、後の記述を読むと素晴らしい女性としてモルデカイはエステルを育てています。養い育てた、とは何か深い意味があるように思います。知識だけではなくて薫育した、ではないでしょうか。日本でいえば、皇后陛下になられる方には、養育係がいて特別な育て方をしているでしょう。モルダカイは実父ではないですが、両親に代わって娘として養い育てています。

全州から集められました乙女たちと同じく召されたエステルにとってはどんな気持ちだったでしょうか。現代では、美人コンテストがあって多くの美しい女性がコンテストに応募します。ここでは応募したのでしょうか。そうではないですね。エステルは「携え行かれ」とあります。これは、力で召され、いや嫌ではなかったでしょうか。モルデカイの元にいて幸せな生活を送っていたのに、王様の権力によって召しだされた彼女であり、他の女性たちでした。

意に反する運命に会った彼女でしたが、このような境遇になった人で他には誰がいますか。ヨセフですね。サウルでもモーセでも、聖書に登場する人物は皆そのようなケースが多いのではないでしょうか。そう思うと、エステルについても、この時点ではまだ不明ですが不思議な力が働いていたと読めますね。

8節から、少しく深めていきましょう。
全国から多くのおとめが首都スサに集められました。エステルもそのうちの一人ですが、婦人をつかさどるヘガイの心にかなって、そのいつくしみを得た。それで凄い待遇を受ける身分になりました。そのあとに、エステルは自分の民のことも、自分の同族のことも人に知らせなかった。モルデカイがこれを知らすなと彼女に命じたからである(10節)。

このことはどういうことでしょうか。エステル自身のことだけではなく、同族のことも知らせるな、とはどういうことでしょうか。

ワシテの代わりの王妃ですから、そばめではなくて正妻を選ぶのです。その婦人を統治下127州全ての地から集めるんですから。いろいろな理由があるでしょう、思い図ったモルデカイとしては今は言うな、との命令です。なんでも最初に言わなくてよい。時が来たら明らかにする、という考えですね。モルデカイの賢さです。(このような事例は他の聖書の個所にはいくつもあります)。

で考えられる理由として

  1. 自分たちはユダヤ人であるということではないでしょうか。ペルシャ人ではなくて、地位の低いユダヤ人であること。ハマンはまだ登場していませんが。
  2. エステルは父母のいない孤児。もしかして王が彼女を選ばないかも。
  3. ②とは反対で、王が彼女を選んで妻として迎えてもワシテ王妃(彼女は王の娘であった)のようではない、身分の低い出身の者を選ぶのか?

11節には、モルデカイは毎日婦人の居室の庭の前を歩いた、とあります。彼は庭には入れる立場の人でしたから、婦人の居室には入れないが、お世話する人たちには接することができるので、中の様子を知ろうとしたことでしょう。モルデカイの心の様子が分かるようです。

12節~14節はどのように読みますか。磨きに磨かれていきます乙女たちです。皆さんも磨きに磨かれましたら美人になるんでしょうね(笑)。
王の前に出るのに一年間の準備期間が必要で、召されてもすぐには王の前には出られない、ということです。正田美智子様も皇太子殿下との婚礼が決まりました時に皇室に入るためにはそれなりの備えの期間があったようです。一人や二人ではない人数です。

15節は何を意味しているのでしょう。この一語から、再度エステルという女性はどんな人だったか読み取りたいです。ほかの女性と同じように一年間の準備期間を過ごしたのでしょう。自らは何も要求はしなかった、と。

  • 実の両親に育てられていないので、遠慮する思いが強かったのでは(爆笑)。―家は貧しかったかもしれませんが、王宮ではなんでも求めてよい、と言われているから求めないでしょうか。それは貧しかったからでしょうか。
  • 王様に気に入られようとは思っていなかった。

前王妃ワシテとエステルを比較して読めば、何かが分かるのでは。ワシテも美人で教養もあったでしょう。それで王妃になれたんでしょう。彼女の美しさとエステルの美しさとはどこが違うでしょうか。
ワシテは王を見下げるような態度をしました。また家来からも嫌われるような人でした。
エステルは全て彼女を見る者に喜ばれた、とあります。このことは、単に外側の美しさだけでしょうか。内面の美しさ。つまり、人との接し方、言葉遣い等々、他人から慕われるような人格を磨いていたでしょう。
モルデカイから養い育されていたでしょう。勿論美形で生まれた女性ではあったでしょうけれども、それ以上に内側の輝きを備えていたので、身体につけるような装飾品はいりません、十分足りています、と。むしろヘガイがこれぐらいは身に付けては、と勧められるものだけにしたのでしょう。

 日本庭園にはししおどしがありますね。それを受ける石造りの水盤には、吾唯足知(われただたるをしる)の文字が口を中心にして周囲にこの4文字が刻んであります。こんな心でエステルはいたのかな、と思いました。持って生まれた彼女の天性のようなものもあったでしょうけど、自分からは求めなかった。満ち足りているような人格になっていたでしょう。

16節:エステルがアハシュエロス王に召されて王宮に行きましたのは、乙女が召されて一年の準備期間を経て王の前に出る、その順番を待つこと4年後のことでした。それまで彼女は磨きに磨かれていたんでしょう。

17節:王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代わって王妃とした。
彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。このことは王からだけではなくて、婦人をつかさどる王の侍従ヘガイの心にかなって、そのいつくしみを得た(9節)とヘガイからもです。先ずはヘガイの心に留まったから王の前にも出れたんでしょう。

このような経緯を見ますと、聖書の中で他にもこのような方がいるのではないでしょうか。
例えば創世記39章21節
「主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた」
とあります。ヨセフは今は獄にいますが、獄屋番に恵みを受けさせられたあと、解放されて素晴らしい展開、王に次ぐ地位へと導かれていきます。
これは、エステルだけのことではなくて、神様がヘガイや王を通して慈しみと恵みを受けて歴史の表舞台へと導かれていきます。
このように読みますと、神様の名前は記してはありませんが、背後で神の御手が動いていたとしか読めないです。

20節:エステルは非常に従順に父と仰ぐモルデカイの言葉に従うこと、彼に養い育てられた時と少しも変わらなかった、素直な娘でした。
このような記事が聖書の中のほかにも思い起こさせます。

ここも「父祖の行為は,子孫への道標である」です。

  • ヤコブはラケルが好きで結婚をしようと父ラバンに申し出ます。しかしラバンは姉のレアを与えます。その時ラヘルは黙っていました(創世記29章)。
  • サウルは預言者サムエルによってイスラエルの王となることを告げられますが、おじにはサムエルが言った王国のことについては何も告げませんでした(サムエル記上10章16節)。

21節:このような王宮で身内に起きている状況の時、同時にモルデカイの上に宮の門という舞台で起きた事件が伏線として記してあります。

モルデカイは王の門に座っていました。古代の城壁の門前は広く、時には集会所、裁判所などと使用されてました。彼は王の警護を任されていたのか、目と耳の役割を担っていましたのか。

王の部屋の戸を守るうちのビクタンとテレシの二人の宦官が王を殺そうと狙っていた、と。そのことがモルゲカイの耳に聞こえてきたのでしょう。このことをエステルに告げ、エステルはモルデカイの名前をもって王に告げました。それが相違ないことであったので二人は木にかけられました。そして記録されました。

Q:王妃となったエステルの心情はどんなでしたでしょうか。 

A:選ばれたのだから、頂点に立つのはよかったのではないだろうか。

Q:でも彼女はユダヤ人です。ユダヤ人の彼女はそれをよろこんだでしょうか。エステルのよって立つところは何だったでしょうか。一人ひとりそれぞれの運命が待っているときに何をよりどころにしますか。

A:ユダヤのために。環境は変わりましたがモルデカイに養い育てられた通りに生きようとした。

いろんな運命がお互いを待っているときに、それをどう受け入れるのかは、その人の信仰ではないでしょうか。
私も30歳代後半に今の務めを辞めて、ある潰れかかった法人の事務局長をしないか、との声がかかりました。お手当は5万円。そんなでどうして生活できましょうか、と思いました。
人に言われたからではなくって神様に祈りました。するとこれは天の要請であると、自覚しましたから受けました。そうでなければ力は出ませんね。
一人ひとりそのような境遇が来るでしょう。エステルだって望まない運命でした。美人であったがゆえに降りかかってきた運命でした。養い親のモルデカイの元を離れて王に召されました。「王はエステルを愛した」と。その時に、彼女は腹を決めて生きようとしたのです。エステルは心の中では涙しつつ、主がお決めになった従おうとする彼女。その信仰の基となったのが、

「人の歩みは主によって定められる。種はその行く道を喜ばれる」(詩篇37:23)。

 エステルは自分で望まない道でしたでしょうが、これは神の導きと思って従ったのでしょう。王妃にまでなれたんです。でももう一つの課題があります。エステルが今一つ腹を決めなければいけない課題です。このような事態になりました時に、
「娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ」(詩篇45:10)。自分の民族のことを忘れて仕えなさい、と。モルデカイにユダヤ人の娘であることを明かすなと。今から王の妻として生きようと決心した。
それは、女性が結婚して新しい道を歩むときの思いでしょう。しかし父の家は忘れても主は忘れまい、神様を仰いで生きていきますというエステルの心。
それは
「エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。もしわたしがあなたを思い出さないならば、もしわたしがエルサレムをわが最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつかせてください」(詩篇137:5、6)。

アハシュエロス王にはエステルの胸の内はわかりませんが、王の恵みと慈しみが増すほどに、エステルの内面はこのような思いが強まっていたんではないでしょうか。

自分の歩む道が決まりましたらその中で神は右だ、左だと言って導いてくださいます。若い時は他に良き道があるのでは、と迷います。

以上2章の展開と思います。

エフライム.A 著

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