パラシャット・ヴァイェヒーのイェヒーは創世記47章28節の「ヤコブはエジプトの国で十七年生きながらえた」の「生きながらえた」に当たります。
いよいよこのパラシャ―は創世記の最終のパラシャ―であり、ヤコブとヨセフの生涯の最後が語られています。波乱万丈のヤコブの生涯を閉じるにあたって、その年齢は147歳でエジプトに17年住んだとあります(47章28節)。
生涯を閉じる前にヤコブが行ったことは、ヨセフに誓いを立てさせ自分をエジプトに葬らないでアブラハム、イサクの墓に葬ってもらうことでした。この時の表現は、ヤコブではなくイスラエルの名前が使われています。
創世記ではどういう時にヤコブと表記され、どういう時にイスラエルと表記されるのでしょうか。約束の地に入る時はイスラエル、約束の地から出るときがヤコブとなっています。エジプトに下った時はヤコブと表記されています。そのヤコブが祖父アブラハム、父イサクが葬られている約束の地に自分を葬って下さいと言ったときは、イスラエルと表記されています。
48章ではヤコブがヨセフのエジプトで生まれた二人の子、マナセとエフライムを自分の子として祝福する場面がありますが、孫にあたるのになぜ子としたのでしょうか。4節に「私はお前に多くの子を得させ、お前を増やし、お前を多くの国民としよう。またお前の後の子孫に与えて永久の所有とさせる」とヤコブに神がベテルで語られた言葉があります。やはりヤコブは死ぬ前にこの神の約束の言葉を実現しようとし、エジプトで生まれた二人の孫を他の子供達と同列に子供と数えイスラエルの12部族にしたのです。そしてヤコブは右手をエフライムの頭に、左をマナセの頭において次のように祝福しました。
「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、生まれてから今日まで私を養われた神、すべての災いから私を贖われたみ使いよ、この子供たちを祝福してください。わが名と先祖アブラハムとイサクの名とが彼らによって唱えられますように、彼らが地の上にふえひろがりますように」(15-16節)。
この祝福の内容はアブラハム、イサク、ヤコブの神が子孫を祝福し、その神の名前が子孫によって唱えられることです。すなわち、信仰が継承されることです。
ヤコブにとっては孫に継承されることです。それは「神があなたをエフライムごとく、またマナセのごとくせられるように」(20節)と祝福することです。
ちなみにこの祝福の中で「すべての災いから私を贖われてたみ使いよ」とあり神以外に天使がヤコブを守っていたとは特記すべきことです。
これはアブラハムとイサクの神がイスラエルを養われた(ロエー、羊飼いが羊を養うの意味)と自分を今日まで導かれた神に感謝するとともに、具体的に災いから贖ってくれた天使をありありと感じていたからです(15-16節)。
このようにヤコブが最後に願ったことは、自分の子供たちとエフライムとマナセの孫を含めたルベン、シメオン、レビ、ユダ、ゼブルン、イッサカル、ダン、アセル、ナフタリ、エフライム、マナセ、ベニヤミンの12人が祝福されることでした。
49章でヤコブは、未来を預言するようにも12部族を祝福する祈りをすると、遺言通り147歳で息を引き取り、アブラハム、イサクが眠るマクぺラの洞窟に葬られました。
ヨセフも50章において110歳で息を引き取ったと記されていますが、孫を膝の上に抱いて、やがて神が「あなたがたを顧みてエジプトから連れ出し、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に導き上られる」と預言し、自分の骨もそこに葬ってほしいと言っています(24-25節)。
こうしてヤコブもヨセフも波乱に富んだ運命を神に導かれつつ終えますが、願ったことは子供たち、孫たちにやがて出現するイスラエル民族としての信仰が受け継がれることでした。これは約束の地において実現されることになります。
創世記を終えるにあたって、神は人間アダムでは成し遂げることができなかった人類への祝福を、イスラエル民族の父祖となるアブラハム、イサク、ヤコブによって及ぼそうとしておられるを感じ取ることがでます。
コメント