パラシャット・ハイェーサラの「ハイェ―サラ」は創世記23章1節の「サラの一生は127年であった」の「サラの一生」の訳語です。このパラシャーはアブラハムの最晩年の出来事を描いています。その一つは最愛の妻サラを葬ることであり、もう一つは愛する子イサクの結婚のことでした。
創世記23章はサラの墓地の購入についてです。サラはヘブロンで他界しアブラハムはサラのために悲しみ泣いた(2節)とありいかに妻を愛していたかをうかがい知ることができます。共に神の声に聞き従って歩んできた最愛の妻でした。そこで住民であるヘテ人に墓地を売ってくれるように求めます。その際アブラハムはみずからを「旅の者、寄留者(ゲル)」(4節)と述べ(まだ居住者ではありません。へブル書にあるように、神の約束は受けてはいますが、地上では旅人、寄留者として過ごしていたのかもしれません(ヘブル11章13節)。
ヘテの人々はアブラハムを「わが主よ(アドニー)、あなたは神のような主君(ナシィー エロヒーム)です」と呼び、アブラハムは土地の人々からも敬われていたことが分かります。そこでアブハムはエフロンからマムレの前にあるマクぺラの洞窟と畑を銀400シケルで購入します(16節)。マムレはイサクの誕生を告げた3人の天の使いを迎えたアブラハムたちにとっては懐かしいところです。そこにサラを葬り、自分自身も葬られることになります。
次にイサクの嫁を娶ることについて、24章に事細かに描かれています。
アブラハムは高齢となり一番気がかりなことは、イサクの結婚のことで、嫁をカナン人から娶ってはならない。自分の国、親族から娶らなければならないと財産を管理しているしもべに言い渡し、天地の神に誓わせます(24章1-4節)。
その際、アブラハムは「天の神、主はわたしを父の家、親族の地から導き出してわたしに語り、わたしに誓って、おまえの子孫にこの地を与えると言われた。主はみ使をあなたの前につかわされるであろう」と述べており、いかにアブラハムは晩年になっても、神の言葉に忠実に生きていて、このような時には、必ず天使をつかわして下さると確信をもって神に信じています。だから嫁となる女がこの地に来るのを好まないなら、わたしの子を私の出身地に連れ帰ってはならない。その時はこの誓いは解かれると伝えます(7-8節)。
その後、詳しくイサクの妻となるリベカのとの出会いが描かれています。しもべが、泉のそばで、アブラハムの神に、水を汲みに来る娘たちに「わたしに水を飲ませて下さい」と言い、娘が「お飲みください、らくだにも飲ませましょう」と答えた娘を嫁にしてくださいと祈っています(12-14節)。見事に願いがかなえられ、リベカが与えられるわけです。これはアブラハムの神が天使をつかわして導いているからだと思います。
アブラハムは175歳で亡くなり、サラが葬られているマクぺラに埋葬されますが(25章7-8節)、その前にケトラという妻を娶り、その子孫がジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバク、シュワであると記されています。アブラハムの所有しているものはイサクに与え、アブラハムのそばめにも物を与え、イサクから離して、東に移らせています(25章1-6節)。これは財産の分配について、アブラハムが細心の注意を払っていることを示しています。サラのつかえめハガルがアブラハムに生んだイシマエルについても系図が書かれており、その子孫は12の氏族で、ハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んでアシュルに及んだとあります。
このようにアブラハムの生涯を見ると、神は「あなたは祝福の基となるであろう。地の全てのやからはあなたによって祝福される。あなたは多くの国民の父となるであろう」(12章2-3節、17章4節)と言われましたが、実にその通りにアブラハム(多くの国民の父の意)になったことを最晩年になって知ることができます。
コメント