4章では、アダムとエバの間に産まれたカインとアベルの物語が描かれています。
まず、この章にタイトルを付けるとしたら、何がいいですか? との問いに、
・妬みと復讐の物語
・罪人に対する神の赦しと憐れみ
・最初の燔祭(神様は肉が好きだった?)
・70倍の復讐 〜神への畏れ〜
・世界最古の殺人事件
聖書を読む限りでは、兄カインは歴史上において最初の殺人者であり、弟アベルはその最初の犠牲者となります。最初の殺人事件が、まさか兄弟の仲違いよるものだったとは・・・。
ここから聖書は何を教えようとしているのでしょうか。
人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
創世記4章1節
ヘブライ語の原文ですと、「私は主と共にひとりの人を得た」となっています。前章でエデンの園から追放された二人でしたが、エバの心が神様から離れていなかったから、「カイン=主と共に得た人」という意味の名前を付けたのかもしれません。
「カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた」。
創世記4章3-4節
カインの弟として産まれたアベルは、羊飼いになりました。そして、自分の群れの中で最上級に値する「ういごと肥えた羊」を供え物として持ってきた。その心を神様は喜ばれたと思います。
またこの箇所からわかるのが、両親であるアダムとエバは、エデンの園を追われた後も、子供たちに神様の存在を伝えていたこと。神様を信じ、敬うことを常に教えていたから、息子たちは自然に神様に供え物を持っていくことができたのではないか、という意見もありました。
「正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
創世記4章7節
「慕い求める」という言葉は、我慢できないほどの強い欲求をさします。良い意味でも、悪い意味でも捉えられる「欲望」という言葉。ここでは、「罪があなたを欲し求めている。しかし、それをあなた自身で治めなさい」と神様はカインに告げています。
人間は嫉妬深く、自分が認められたいという衝動が抑えられない時があります。誰しも一度は経験したことありますよね?
神様は、アベルの供え物に目を留められましたが、カインの供え物を咎めるようなことはしていないのに、カインの心はもう制御不能になっていたのですね。
妬みや罪の欲求からは悪き衝動しかうまれず、尊重や敬慕する心からは真の愛がうまれてくることを、この物語は教えてくれているのかもしれません。
でも神様はほんとうに愛の方ですね。罪を犯したカインにも再生の道を備えておられる。
「主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた」(15節)とあるように、神様が伴っていることを示すしるしがカインにある以上、彼は神様を見上げながら生きていったのではないかなと思いました。
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