パラシャット・レフ レハーの「レフ・レハー」は、創世記12章1節の「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい」の「あなたは~行きなさい」にあたります。原語のヘブライ語では「断じて、出て行け」との強調の意味と、「本来の神の似姿としての自分に向って出て行け」の意味があります。
神はノアから10世代後にアブラムに声をかけられました。それは繁栄したカルデヤのウルを出て、神に示されるまま知らない土地に出て行くことでした。この出発がイスラエル民族の始まりです。
12章2節に「私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう」とありますが、「祝福の基」は原文では「祝福そのもの」の意味です。神はアブラムを祝福の存在そのものとしたのです。何という人知を超えた神の素晴らしい業でしょう。
アブラムは早速、妻サライ、弟の子ロトたちを連れて、いで立ってカンナの地のシケムに着きます。ここで神が現れ「この地をあなたの子孫に与えます」との声をかけられたので、祭壇を築きます。さらにべテルとアイの間に天幕を張り、祭壇を築いて主の名を呼んでいます(12章7-8節)。このように未知なる土地について、まず行ったことは、祭壇を築いて主なる神に祈り、神と交わることでした。
しかし信仰の父アブラハムと仰がれる人物が、10以降の飢饉のためにエジプトに下り、パロの前で自分の生命を守るために、美しかった妻サライを妹ですと偽る出来事は不信仰のように見えます。確かにここでアブラムは弱音を吐いているかもしれません。しかしそのことによってパロから多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷、らくだを得たのも神の祝福ではないとは言えません(12章16節)。
13章にはエジプトから帰ってからの行動が描かれています。まず最初に祭壇を築いたアイとべテルの間で主の名を呼んで祈っています。それからアブラムもロトも羊、牛などの財産が多すぎたので、住み分けを行い、よく潤っているヨルダンの低地をロトが、アブラムはカナンに住むことにします。13章14節には神はアブラムが見渡すところ、東西南北、すべて永久にアブラムとその子孫に与え、その子孫は地のちりのように多くするとあり、神の一方的な祝福が記されています。常に神に祈るアブラムには祝福の波が及んでいます。さらにアブラムはヘブロンのマムレのテレビンの木のかたわらに移り住んで祭壇を築いています。
14章では勇ましく戦うアブラムが登場します。ソドムの王はじめ5人の王がエラムの王ケダラオメル以下4人の王に対する戦いで、ロトとその財産が奪われた時、アブラムは318人の家の子郎党を引き連れて、ケダラオメル王達に戦いを挑み、ロトと財産を奪い返します(14章6節)。前とはうって変わって勇ましいアブラムで、一旦緩急あれば、身を惜しまず戦う戦士としてアブラムの姿が見えます。ここで不思議な存在が登場します。戦勝祝いの席にサレム王メルキゼデクが、いと高き神の祭司としてパンとぶどう酒をもって来てアブラムを祝福します。19節に「天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。あなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神が崇められるように」とあり、アブラムを祝福し、戦勝に導いたのがいと高き神であったことが分かります。もちろん、この神はアブラムを導いている主なる神の別名であると思われます。
15章では神がアブラムと契約を結ばれます。その内容は以下の通り。
①神はアブラムを守り勝利し報いが大きい(15章1節)。
②アブラムの子が跡継ぎとなり子孫は星のように多くなる(5節)。アブラムは自分をウルから導き出した神を信じ神から義と認められています(6節)。
③アブラムの子孫は400年奴隷となるが、この地に帰って来る(14節)。
④アブラムは天寿を全うして天に召される(15節)。
⑤エジプトからユーフラテス川までの10民族の地をアブラムの子孫が獲得する(18-19節)。
アブラムは契約が締結されるためのしるしを求めていますが、神はそれに答えて、動物を裂いた間を炎が通過させて契約が締結されます。この15章の契約も神のアブラムを捕らえてその子孫を繁栄させるという一方的な祝福であると言えます。
16章はイシマエル誕生のいきさつが述べられています。アブラムが86歳の時と16節にありますので、カナンの地に着いてから11年後のことです。
前章で神はアブラムの子孫は星のように多くなると約束されましたが、中々現実はそうなりませんので、妻のサライは焦ったのでしょう。自分のエジプトの女奴隷だったハガルを妻として夫アブラムに与えて子を授かろうとします。そしてハガルがはらんで、自分を見さげるようになるとサライは、夫アブラムになんとかしてほしいと頼みます。アブラムは好きなようにしたらいいと言いましたので、サライはハガルを苦しめます。それでハガルは荒野の泉のほとりまで逃げます。その時、主の使いが現れ「どこへ行くのか」と声をかけます。「女主人サライの顔を避けて逃げているのです」と答えると「女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」と主の使いが答え、「私は大いにあなたの子孫を増して数えきれないほどにする。身ごもっている男の子をイシマエルと名づけなさい。主があなたの悩みを聞かれたからです」と言ったので、ハガルは思わず自分に語られた神の名を呼んで「あなたはエル・ロイです」と言いました(13節)。それは「わたしを見ておられる方のうしろを拝めた」の意味で、ハガルが荒野で神の声を聞くという神秘な経験をしたことを物語っています。
イシマエルとは「神は聞きたもう」との意で、ハガルの苦しみを聞き、子孫を数えきれないほど多くするとはなんという祝福でしょう。この子孫が現在のアラブ民族で、神の預言は確実に成就しています。
創世記17章では、アブラムの生涯を決するような出来事が起こります。99歳の時、神が現れて「私は全能の神(エル・シャダイ)である。私の前を歩んで、全き者(タミーム)であれよ」(17章1節)と声をかけます。全き者とは純情な者との意で、神の前に幼子のように純な心であれよとの意味です。そして「あなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」(2節)、さらに「あなたは多くの国民の父となり、あなたはもはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう」(4-5節)と言われました。
名前が変わることは、以前の存在とは違った存在になることを意味します。
その内容は7―8節の「あなた及び後の代々の子孫と契約を立て永遠の契約とし、あなたと後の代々の子孫の神となり、カナンの全地を永久の所有とする」というものです。即ち多くの国民の父となるが、また永遠にイスラエル民族の神となり、カナンの地を与えるということです。これは神ご自身がアブラハムを選んで神のご意志を現わされた自己表明ともいえる宣言です。
そのしるしとしてユダヤ人は生まれて8日目に行う割礼を現在も連綿と行っています。一方神は妻サライを祝福し名前をサラと変え、男の子を授け、多くの国民の母となりました(16節)。
しかし実際は、アブラハムは100歳、妻は90歳で、どうして子供が生まれようかと心の中で笑い、イシマエルが後継ぎになるべきだと主張します。しかしなお神は、サラは男の子を生む、イサクと名づけなさい、イシマエルにも多くの子孫が生まれると約束されます(17-20節)。
このように神は、不可能を可能にする全能の神(エル・シャダイ)であることを示され、契約を全うされようとされたのです。
コメント