創世記46章をみんなで読んで

よむ会の記録

本日(1月22日)Zoomにて「聖書をよむ会」を行いました。
創世記46章、4つのキーワードと一つのテーマ

・ヤコブ⇄イスラエル
・70人
・ゴセン
・ヨセフを見て、そして死ぬこと

テーマ「アルティラー」恐れるな

ゴセンの地については「聖書とエジプト」で話してくださった
光永さんが話してくださいました。

ゴセンがナイル川の恵みで豊かであること
ユダヤ人が住んだであろう「スコテ」には
紀元前の羊の骨が多く見つかっていること
名前自体ヘブライ語であるのではとのこと

もっと聞きたかったのですが、
詳しくは、4月か5月に計画中の
「聖書とエジプト」第二段で!

アル・ティラーに関しては
「恐れるな」ということですが、
神への畏れであるということが前提

そこで、ヘブライ語のコンコルダンツを引っ張ってみました

アルティラー ヘブライ語コンコルダンツ

創世記15章1節、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。」
創世記26章24節、主が彼に現れて言われた「私はあなたの父アブラハムの神である。恐れることはない」
そして、今回の創世記46章、神は言われた「私は(あの)神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れてはならい。私はそこであなたを大いなる国民とする。」

嬉しい反面、心の中で、どこか恐れていたヤコブ・・・・

何に恐れていたのか??


ヨセフが恐れていたものについて、私は上着に血がついていたのでかみ殺されたと信じて死んだと思っていた息子にあう恐れなのかな、と人間の側に引き下げていたのですが、アルティラーという言葉からベヘルシェバでイサクに祭壇を捧げたことの意味、カナンを離れることを恐れるということにつながることをしていいのか、神を恐れる気持ちだったのかとわかりました。あーなんかやはり聖書は「聖」ですね。

三瀬さんからのメッセージ

“アルティラ―”は神への畏れを指しているので、ヤコブはエジプトの神を畏れて、ベエルシェバで燔祭をささげたのかなと思いました。
そこで神はヤコブに顕れ、わたしが共にエジプトへ行くと約束されます。
ヤコブはすべて“コール”を携えてエジプトへ下っていく。(家畜や財産、子孫)
そのヤコブ一族の総数は70名(完全数)。またベエル・シェバ(七つの井戸)から7という完全数が読み取れる(当てつけかもしれませんが・・・)。“すべて”と“完全”をもってエジプトに下ろうとするヤコブには、それを打ち消してしまう“畏れ”があった。
しかし、ゴセンの地で出会ったヨセフには、その神の啓示を実現させる完璧なシナリオがあった。もちろんその背後にはヨセフを通して働き続ける神の御手があった。

星野さんからのメッセージ

なるほどです。カナンを離れるがキーワードですね。
この恐るなという言葉、子孫にも伝えられて400年離散の地をいきぬく事ができた。この約束と出エジプトの贖いがあったのて、バビロン捕囚も、1900年の建国までも離散も恐るな事なく信じられることができた、決定的な言葉になったのでは。

光永さんからのメッセージ


住み慣れたところ、今まで積み上げてきた財産、今までの教え、
すべて振り払って、神のご計画に従って歩むとき、どこか躊躇する心はあると思います。
が、神が恐れるなと背中を押してくださる。

目に見えること、ものは不安に満ちているが、きっと神様の祝福があると信じて歩めるか!

ヤコブの父イサクは、神からカナンの地から出るな!と言われて
一度も、外に出たことがない。
そんな父を見ていたヤコブは族あげて、カナンを出てエジプトに住むことが
神と父イサクとの約束を破ることになるのではないか?!との恐れでないか

石橋さん、神藤さん

ベエルシェバを出る前にイサクの神にいけにえを捧げたとあることに注目した

本間さん

エジプト時代、農耕民であるエジプト人と交わらなかったのは宗教的な理由と思っていたので、羊飼い生活とナイル農業生活の比較を興味深く聞きました。

ステインさん

その他、山の人、海の人、平地の人、も面白かったです。。。

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