ノア 創世記6章9節~11章32節

創世記

 パラシャット・ノアのノアは創世記6章9節の「ノアの系図は次のとおりである」から採られています。ノアの意味は「慰めるもの、休息」です。
これまで人が思いはかることが悪いことばかりで、神は人を造ったことを悔いられたが、6章8節に「しかし、ノアは主の前に恵みを得た」とあります。原文は「ノアは神の目に恵みを見出した(マツァー・ヘン・ベネイ・アドナイ)」で、神様から恵まれる者であったとの意味です。

 しかしながら11節以降、暴虐が地に満ちて、人が道を乱したので、神は人をすべて絶やそうと決心されます。それでノアに糸杉で箱舟を造り、ノアの家族と全ての地上の生き物、空の鳥の雄と雌を箱舟に入れるように命じます。箱舟の大きさは、長さ300キュビット(1キュビットは腕の長さ)、幅50キュビット、高さ30キュビット、さらに上に1キュビットの高さで屋根を造り、戸口も設けて3階建てにして、部屋の内側と外側はアスファルトを塗りなさいと命じます。

 そしてノアは命じられたように行います。周りの人はきっと何をしているのかとあざ笑ったと思います。

 7章で、神は40日雨を降らせ洪水を起したので、地上の全ての生き物、鳥も家畜も獣、這うもの、またすべての人が滅んでしまいます。150日間、箱舟は漂ったとあり暗い部屋の中で過ごしたノアとその家族、生き物たちはどんな気持ちだったでしょう。8章になると、神は箱舟のノアと家族、すべての生き物、家畜を心にとめられ、次第に水が引く様子が描かれています。40日経って、ノアが窓を開いて、まずカラスを放ちます。次に鳩を放って水が引いたかどうかを確かめようとします。一度目は鳩が帰って来たので、水は引いておらず、7日後、もう一度鳩を放ったところ夕方にオリーブの葉をくわえて帰ってきました。水が引いたからです(8章11節)。

 これは一体何を意味しているのでしょうか。カラスはノアの暗い沈んだ気持ちをあらわし、オリーブの葉は希望を意味します。ノアは150日の間、暗い部屋で過ごして生じた暗い沈鬱な気持から、次第に心が変わり平和の象徴である鳩を放ち、希望を勝ち取るまでになったと読めないでしょうか。ノアは神に感謝して箱舟を出て燔祭を捧げます。神はその香ばしいかおりをかいで、もう二度と全ての生き物を滅ぼさないと誓われます(8章21節)。

 9章で神はノアとその子ら、ノアと共にいたすべての生き物と契約を結ばれます。ただし条件が付けられます。すべて生き物、青草は人の食物となるが、肉をその命である血のままで食べてはならない。神は血を流す者を報復する。人の血を流す者は、人に血を流される。神が自分のかたちに人を造られたからとあります(9章5-6節)。即ち神のかたちにつくられた尊い人間の生命である血を流してはいけないとは殺人の否定を意味します。神は殺人ではなく、生めよ、増えよ、地に満てよとノアとその子らを祝福して言われます(9章7節)。これが神とノア、ノアの子ら、すべて肉なるものとの契約で、そのしるしとして虹が現れます(9章17節)。

 ノアの子らとはセム、ハム、ヤぺテのことで、その系図が10章に書かれています。セムとは中東、ハムはエジプト、ヤぺテはインド・ヨーロッパの民族の祖先を意味するものと思われます。すなわちノアの子孫が当時の全世界に広がったと言えます。しかしその子孫が必ずしも神の目に良かったとは言えず、11章には有名なバベルの塔の話が出て来ます。全ての民族が、同じ言葉を話して考えることは、高い塔を立てて天まで届かせ、名をあげようということでした。この驕り高ぶった様子を見て、神は言語を乱し、お互いが通じないようにさせ、全地に散らします(11章8節)。

 これが現在、世界に様々な言語がある理由とも言えます。神はこのような混乱した状況からなんとか天の思いを満たす人物を起そうとセムから10世代後に、アブラムを起用します(11章27節)。

 パラシャット・ノアから学ばされることは、神は、人を造ったことを悔いて一度は滅ぼそうとされ、実際、滅ぼされましたが、ノアとその子らに人類の希望を託して、神のかたちである人間をなお生かそうとされます。しかしなかなかそうならなかったので、神はイスラエル民族の父祖となるアブラムを選ぶまで、忍耐強く待たれたとも言えます。

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