今回は創世記43章を読みました。
時が流れ、エジプトトップ2になったヨセフは兄弟と20年ぶりの再会を果たした。
ヨセフは自分に与えられた夢を実現するために行動していく。
兄シメオンをエジプトに捉えられたまま、、
兄たちは弟ベニヤミンを連れて再びエジプトに下るのか⁈
父ヤコブはどうしたのか⁈
今回の議題としては
- ユダの信仰
- ヤコブの信仰
- ヨセフの家の管理者
- ヨセフの心情
この43章、今まで42章、ヨセフと兄弟の最初の劇的な再会、
44章の涙の打ち明け、再会の間の章で、正直、サーと読み流していました。
しかし、今回読みまして、いろいろな心情や信仰が飛び交っている章だと感じました。
まずはユダの姿
すでにヤコブ一族、カナンの地には食料がつきて民族存亡の危機的な状況にもなっていた。
今度、エジプトに行くならば末のベニヤミンを連れていかなければとベニヤミンを案ずる老ヤコブ。
その躊躇する思いが強すぎて、タイミングがあれば2度もエジプトに行けるぐらい日が経っていた。
シメオン、、、囚われのまま
その躊躇するヤコブの姿に、ユダは立ち上がった!
自分の身を担保にしてでも、ベニヤミン、一族を救う食料を持って帰ると!
現在イスラエルでも、友のために自分を担保にしてでも
救いに行く!という精神がある。
一度、ユダたちはヨセフに会っている、あの人なら大丈夫と何か身近な存在に感じていたのでは。
など、話が出ました。
そのユダの姿を目の当たりにしたからか?
老ヤコブも立ち上がります!
この43章は、ヤコブをイスラエルと記しています。
ヤコブは天使と相撲をした後、イスラエルと名をもらった。
その後、ヤコブの名を聖書はイスラエルとは記していない
イスラエルよりもヤコブと記されている。。
43章のヤコブはイスラエルとなっている、その違いはなぜなのか?
戦闘モード「ヤコブ」が「イスラエル」になるのかも(笑)
ここでイスラエルと記しているのには意味があって
イスラエルと記しているはず!
43章以前のヤコブは、子供のことなど、オロオロしている
しかし、俄然ユダの姿に言葉に目覚め
全能の神様が憐れんでくださるように
神のご計画ならば、子がどうなろうとも、それを受け入れよう
私はあなたに信頼、信じます!
本来のヤコブの姿、信仰にもどります。
聖書の信仰は、この全能の神様に全託して生きると教えられました。
そのときに大きな祝福がある。
ヨセフの家の管理者
今回、ヨセフの家の管理者の存在が心に残りました。
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