シュラッハ 民数記13章1節〜15章41節

民数記

今週の聖書(パラシャット・シャブア)
民数記13章1節〜15章41節

パラシャット・シュラッフのシュラッフは民数記13章1節の「人をつかわして」の「つかわす」にあたります。即ち、神は人をつかわしてカナンの地を探らせようとしました。
 そして各部族のつかさを一人ずつ派遣しました。その報告が13章、14章に描かれています。
 40日間カナンの地を探り、パランの荒野のカデシにいたモーセ、アロン、それにイスラエルの全会衆に「確かに乳と蜜の流れる地です。これがその果物(ぶどう、ざくろ、いちじく)です。
 しかしその地に住む民は強く、町々は堅固で非常に大きく、アナク(巨人)の子孫がいるのを見ました」(13章28節)と報告しました。この「しかし」(エフェス キー)が大変重要です。見たままの事実を伝えたうえに自分たちの見解を加えたのです。
 一方ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブは「私たちが巡った地は非常に良い地で、乳と蜜が流れていて、主が良しとされるなら、主が導いて、それを私たちにくださるでしょう。その民を恐れてはならない。彼らは私たちのパン、食物(ラフメイヌー)にすぎません。主が私たちと共におられます」(14章9節)とあくまで事実を述べるとともに信仰を鼓舞しています。

 この時、神はいつまでも信じない民を疫病で滅ぼそうとされますが、モーセが、「それではせっかく奇跡をもってエジプトから導き出したイスラエルの民を滅ぼしたと周りの民が聞いたらどんなに思うでしょう。神は約束の地に導き入れることができなかったと言うでしょう」と反論し、民の罪をゆるすように願いました(14章19節)。
 それに対して神は「私はゆるそう。しかし私は生きている。主の栄光が全地に満ちている。この栄光を見ながら、私の声に聞き従わなかった人々は、約束の地に入ることは、カレブとヨシュア以外にはできないであろう」と告げられます。

 このようにして神につぶやいた会衆は滅ぼされ、荒野で倒れ、その死体をさらすことになり、40年間さまよった後、その子供たちは約束の地に入ることになります。これは14章28節に「私は生きている。あなたがたが、私の耳に語ったように、私はあなたがたにするであろう」との言葉の結果です。

これによって、神は私たちの心の思いを全てご存知であることを知らされるとともに、神の前には嘘偽りのない歩みをしたいと願わされます。

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