今週の聖書(パラシャット・シャブア)
民数記19章1節〜22章1節
パラシャット・フカットは民数記19章2節の「主の定められた律法の定めは次の通りである」の「定め」にあたります。その内容はイスラエルの会衆の罪を清めるために、赤雌牛をほふりその血を幕屋にふりかけ聖別し、雌牛は焼いてその灰を蓄え水に入れて汚れを清める水をつくることです。
前のパラシャット・コラでも見たように神に反逆するようなことが起こったり、民が不平を言ったりしたので、神は心を痛め、民を聖別するために命じた定めだったと思われます。
20章ではモーセの姉のミリヤムがカデシで亡くなった時に、また会衆は飲む水がなくなり、モーセとアロンにと言い争って「どうしてこんな荒野で死なせようとするのですか」と不平を述べます。その時主の栄光があらわれ、主はモーセに「杖をとって、会衆の前で岩に命じて水を出させなさい」(20章8節)と言われます。それに対してモーセとアロンは「背く人たちよ、我々はあなた方のためにこの岩から水を出さなければならないのか」と怒りをあらわにしています。そして岩に語りかけるかわりに二度も杖で岩をたたいて水を出します。
この時主はモーセとアロンに「あなたがたは私に信じないで、イスラエルの人々の前に私の聖なることをあらわさなかったから、約束の地には入れないであろう」と告げられます。
20章13節には「これがメリバの水であって、イスラエルの人々は主と争ったが、主は自分の聖なることを彼らに現された」とあります。
モーセが犯したメリバの罪、あれだけ民のためにとりなしてきたモーセが怒りに任せて岩を二度もたたいて主の聖なることを現わさなかったとは信じられないことです。
なぜこのようなことが起こったのか。姉のミリヤムの死の悲しみのためか。神から託されてエジプトから導き出した愛する自分の民に「背く人々よ」と怒ってしまったモーセ。悲しいことだが、勘が鈍ってしまったとしかいいようがありません。アロンもこれを止めなかった罪のためか、ホル山で死んで子のエレアザルが後を継ぐことになります。
21章でも民がエドムで粗悪な食物は嫌になりましたとつぶやいた時に、神は火のへびを送り噛ませたので民の多くが死にました。それで民が悔いてモーセに助けを求めたので、モーセが青銅のへびを造りへびに噛まれた者がそれを仰ぐと生きたと21章9節に書かれています。ここの箇所をヨハネ伝3:14~15節では、キリストを信じ仰ぐ者は永遠の生命を得ると説いています。
このパラシャ―が語っているのは、人間は罪を犯しやすいものですが、それをなお神は顧みて救いの道を用意されているということではないでしょうか。
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