今週の聖書(パラシャット・シャブア)
民数記22章2節〜25章9節
パラシャット・バラクのバラクは民数記22章2節「チッポルの子バラク」から来ています。
バラクはモアブの王で出エジプトして来たイスラエルの民があまりに多いので恐れをなして、ユーフラテス川のほとりのペトルにいたバラムにイスラエルの民を呪ってくれるように頼みます。それに対するバラムの行動が22章から24章に述べられていますが、聖書の中では最も古いものとされ、書かれた年代は紀元前15世紀以前にさかのぼり、「バラム書」と呼ばれます。
この書はヨブ記と共に異邦人の非ユダヤ人が、イスラエルの神を讃える筋書きで、「正典」として聖書の中に、モーセが書いたものとして収められています。
バラクの要請にこたえてバラムに語りかけるのは、イスラエルの神(エロヒーム22章9節)、主なる神(アドナイ22章8節)です。
ではなぜバラムは呪う代わりにイスラエルの民を祝してしまったのでしょうか。バラム異邦人でありながら、霊的な人で神の幻や声を聞ける人であったことは文中からうかがえます。そしてどこまでもイスラエルの神の語りかけに忠実であろうとします。しかし22章21節以降、バラムがバラクの招きに応じてモアブのつかさたちと共に出かけようしたとき、神は怒って、神の使いが抜き身の剣をもって、ロバに乗ったバラムをとどめようとします。しかしバラムは執拗になお進もうとロバを三度も叩いたので、ロバが口をきいてバラムをいさめます。バラムも霊眼が開かれ神の使いが見えて、自分の罪を認めます。この出来事がバラムをなお一層、神の言葉のみ伝えることに専念させます。
その結果、四つのイスラエルを祝福するバラムの託宣が書かれています。その中でイスラエルの民を表現するのにふさわしいとされるのは、23章9節の「ひとり離れて住む民」と24章5節の「ヤコブよ、あなたの天幕は麗しい、イスラエルよ、あなたのすまいは、麗しい」です。これはイスラエルの神がいかに異邦人のバラムを通してその民を愛しているかを物語っていると言えます。24章9節には「あなたを祝福する者は祝福され、あなたを呪うものは呪われるだろう」とのアブラハムに対する神の祝福が引用されています。いかに神のイスラエルに対する祝福が強烈であったかが分かります。
なお24章17節の「ヤコブから一つの星が出る」は原文では「コハブ ミヤコブ」でイスラエル史において重要な「バル・コフバの反乱」の名称の由来となっています。紀元135年にローマ帝国に反乱を起こしたバル・コフバのコフバは同節の「一つの星」の意味でバル・コフバは「星の子」を意味します。ユダヤ教の著名なラビ・アキバは、バル・コフバをローマの支配からイスラエルの民を救うメシヤ(救い主)として信奉し共に戦い殉教します。ラビ・アキバさえバラムの預言を読んでいたことを思うと、聖書はユダヤ民族、異邦人を問わずグローバルな啓示の書と言わざるを得ません。
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