マトット 民数記30章2節〜32章42節

民数記

パラシャット・マトットの「マトット」はマテーからきた言葉で、元来は「茎、杖」の意味があり、ここでは「部族」の意味です。民数記30章1節でモーセがイスラエルの人々の部族のかしらたちに、主に誓願を立てる場合はこれを破ってはならないと告げます。婦人が誓願を立てる場合、結婚前でも、結婚後でも父、または夫が責任を負うとされています。父、または夫が承認した場合は、あくまでも、娘または婦人が神に誓願を果たさなければなりません。

31章ではミデヤン人に対する主の報復が述べられてあります。1万2千人の武装したイスラエル軍がミデヤン人の男子を全て殺害したとあり、厳しい処置です。これは25章でイスラエルの民が異教神であるモアブの神、ぺオルのバアルを拝んだために疫病がはやった事件をミデヤンの女が引き起こしたと考えられるからです。徹底して罪の根を取り除こうとして、殺害した兵士、死体に触れたもの、捕虜も、衣服も清めなければならないとあります(31章13-20節)。

また戦利品の家畜から兵士たち与えられた500分の1を主の貢ぎ物とし祭司エレアザルに渡し、イスラエルに人々に与えられる家畜の50分の1を神に仕えるレビ人に渡しているので、これは主の戦い、神の戦いであったことが分かります。

このパラシャ―では何と言っても、32章からのルベン族の子孫、ガド族の子孫、マナセ族の半部族に与えられた嗣業についての経緯が重要です。

約束の地を目の前にしてヨルダン川の東部に良い土地を見出したルベン族の子孫とガド族の子孫とは、兄弟達がヨルダン川を渡って約束の地に攻め入ろうとするのに一緒に戦おうとはせず、戦意をくじこうとします。モーセは激怒し「あなたがたは兄弟が戦いに行くのに、ここで座っているのか」(32章6節)、「どうしてあなたがたはイスラエルの人々の心をくじいて、主が彼らに与えられる地に渡ることができないようにするのか」(同7節)、また「罪人の輩よ」と呼びかけ、彼らの祖父が斥侯として約束の地に入った時、約束の地を中傷し民の心をくじいたことを思い出させています(民数記13章25節―33節)。

なぜこれほどまでにモーセは憤っているのか。それは主の戦いは民族が一丸になって戦わなければならないからです。

この叱責に目覚めたルベン族の子孫とガド族の子孫は「我々は武装してイスラエルの人々の前に進み、約束の地に導き、兄弟が嗣業の地を得るまでは家に帰りません」と答えます。「武装して」の原語は「ハルーツ」で「前衛部隊」、現代ヘブライ語ではイスラエル共和国を築いた「開拓者」の意味であり、モーセにとってイスラエルの人々の前に立たない罪は主の前に立たない罪に等しい。ルベン族の子孫とガド族の子孫が、約束の地に永住する兄弟と共に戦おうとしたときに「主の前にも、イスラエルの前にも、とがめがなくなった」(同22節)のです。

コメント