今週の聖書(パラシャット・シャブア)
民数記8章1節〜12章16節
パラシャット・ベハロテハは民数記8章1節の「ともし火をともす」の「ともす」の意味です。
8章では前のパラシャ―でも述べられましたが、レビ人がイスラエルの長子の代りに幕屋の務めをなし、イスラエルの人々のために罪の贖いをするためでした(8章19節)。
9章では出エジプトの翌年の1月14日に過越の祭りが行われたことが記されています。
1月1日には幕屋が完成し、2月1日に人口調査を行い2月20日にシナイ山から出発します(10章11節)。
幕屋が完成した時、昼は雲が覆い、夜は火のように見えたとあります。雲が上る時、幕屋は進み、雲がとどまる時は宿営した。即ちイスラエルの人々は「主の命(ミピーアドナイ 主の口に従って)によって進み、宿営しました」(9章18節)。
進む場合は、ラッパがアロンの子たちによって吹かれました。二本吹かれた時は全会衆が幕屋の前に集まり、一本の時は氏族の長のみが集まりました。進軍するときは、警報が吹き鳴らされました。
契約の箱が先頭になって進むときは、モーセは「主よ、立ち上がって下さい」。とどまる時は「主よ、帰って来て下さい」と祈りました。出エジプトの旅路は主の戦いであったことが分かります。
しかし民の状況は11章1節にあるように「災難に会っている人のように、主の耳につぶやきました」。原文は「つぶやく者のようであった」です。
何が不平なのか、はっきりしない、ただつぶやく者のようであったので、主はこれを聞いて怒りを発せられ火が燃え上がった(タベラ)とあります(11章3節)。不平の理由がはっきりしているときは、神は怒りませんでした。飢えた時は天からマナを降らせ(出エ16章4節)、メラで水が苦くて飲めないとき、水は甘くなりました(出エ15章23~25節)。
モーセは、理由のはっきりしない、ただ不平のための不平を述べ、「民が家ごとに、おのおのその天幕の入口で泣くのを聞いた」(11章10節)のでした。それで耐えきれずに「わたしをひと思いに殺し、このうえ苦しみに会わせないでください」(11章11~15節)とまで言っています。
この理由のはっきりしない、不平のための不平の原因は「民のうちのならず者たちは欲心を起した(ヒトアヴー タアヴァー)」(11章4節)にあります。
エジプトでの奴隷の苦しみを忘れ、ただ欲心を起し理由もなく民は「ああ、肉を食べたい」と泣き叫んだのでした。その後、神はモーセを助ける70人を立て、欲心を起した民には食べきれないほどのうずらを与えましたが、怒りを発して疫病をもって民を撃たれ、そのところの名前は「キブロテ・ハッタワ(欲心の墓)」(11章34節)と呼ばれたとあります。
12章においてもモーセがクシの女を娶ったことに対してアロンとミリヤムが非難したとき、神は、モーセが柔和であり、忠信な者であり、口をもって語れる者であるとして弁護し、ミリヤムはライ病になったとあります。まことに神の前には、欲心や人間の高慢な態度は通用しないことを知らされます。
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