今週の聖書(パラシャット・シャブア)
5月16日(日)〜5月22日(土)
民数記スタート!民数記1章1節〜4章20節
パラシャット・バミドバルのバミドバルは、民数記1章1節の「シナイの荒野において」の「荒野において」を指しています。モーセ五書のレビ記に続く第四書は民数記ですが、ヘブライ語聖書では「荒野において(バミドバル)」と呼ばれています。
荒野の四十年を経てイスラエルの民が真の神の民となったからです。
その為に必要だったことは、まず、出エジプトして一年目の三月にシナイ山で神からトーラ―(律法)を受けること、二年目の一月一日に会見の幕屋が建てられること、そして二月一日に、イスラエルの全会衆の人口調査が命じられ、戦争のための軍隊を二十歳以上の男子によって組織されることでした(1章3節)。
それも氏族、父祖の家によって調査しなさいとあり、無名の兵士ではなく、れっきとした一家の子息、氏族の子息という条件付きでした。
今日では世界の国々で国民皆兵が通例となっていますが、三千数百年前に国民皆兵が行われたことは、驚くべきことです。古代ギリシャでは、貴族が兵士となり、中世ヨーロッパでも傭兵が主な軍隊でした。しかも他の国々と異なるのは国民皆兵ではありましたが、レビ族の存在です。
アロンの子達は祭司であり、レビ族は祭司に仕え、幕屋の諸々の器を守り、イスラエルの人々のために幕屋の務めを行いました。
そのレビ人は3章45節に「イスラエルのういごの代りにレビ人を取れ、レビ人は私のものとなる。私は主である」とあり、さらにイスラエルの人々のういごは、レビ人よりも273人多いので、その分の贖い金1365シケルをアロンとその子達に支払わなければならないとあります(3章46-50節)。
これは何を意味しているのでしょうか。イスラエルの人々も神によって一人一人買い取られ、贖われている。一人銀5シケルとは象徴的な身代金ではないでしょうか。
イスラエルの民は、単なる国民皆兵の民ではなく、神によって買い取られ、贖われた聖なる神の民であることを意味しているのではないでしょうか。
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