今週の聖書(パラシャット・シャブア)
申命記11章26節〜16章17節
パラシャット・レエーのレエーは、申命記11章26節の「見よ」の原語です。
このパラシャ―ではこれから入ることになる約束の地において行うべきことが詳細に述べられています。まずは主の命令に聞き従うならば祝福を、従わないならば呪いを受けるとあります(11章27-28節)。
次に12章では、異邦の神々の祭壇、柱、アシラ像などの偶像を破壊し、主なるイスラエルの神のためには、主が名を置くために選ばれる場所で、燔祭、犠牲、諸々の供え物を捧げなければならない。
息子、娘、僕、はしため、レビ人と共に主の前に喜び楽しまなければならない。肉を食べたいときは自由にどの町でも食べれるが、血は食べてはいけない。血は生命であるからである。生命を肉と一緒に食べてはならない。(12章23節)とあります。
このようにどのように生活すべきかを具体的に述べられています。特に息子や娘を火に焼いて捧げるような異邦の民がしていることを絶対してはいけない。それは主が憎まれる忌むべきこと(トアバット・アドナイ)とあり、最も嫌われることとして強調されています(12章31節)。
同様に預言者や夢見る者が「ほかの神々に仕えよう」と言っても聞き従ってはならない。その理由は「主はあなたがたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知ろうするからである」(13章3節)と申命記6章5節のユダヤ教で最も重要な掟が繰り返されていています。
14章では主から選ばれた聖なる民、宝の民として食生活で気を付けるべきことが書かれています。食事規定に定められたもの、動物ならひずめが分かれ、反芻するもの、魚ならばひれとうろこのあるもの、鳥は翼がある清い鳥は食することができると書かれてあります。
15章では七年毎に隣人に貸したものは、その貸主は催促をしてはならず、帳消しにしなくてはならない。これは同族の兄弟について述べられたことで、7節では、もし兄弟で貧しいものがいたら、心を頑なにして手を閉じてはならない、物を惜しんではならない、心から喜んで与えなければならないとあり、それは「あなたの神、主はこのことのために、あなたの全ての事業と手の全ての働きを祝福されるからである」(15章10節)と書かれてあり、如何に主なるイスラエルの神は、祝福してやまない神であるかが分かります。12節の同族のへブル人の男か女が奴隷として売られてきた場合、七年目には自由を与えて去らせる掟もいかに神は愛の神、赦しの神であるかを表しています。
16章では年に三度守るべき祭、過ぎ越しの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りにおいて、主から受けた祝福に応じて捧げものをしなければならいないと神に感謝すべきことを教えています。
このパラシャ―ではこのように、どのように聖なる民として生きるべきかの指針が書かれていますが、エジプトの奴隷から贖って下さった神の愛を忘れないための秘訣が述べられていると言っても過言でないと思います。
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