ヴァエトハナン 申命記3章23節〜7章11節

申命記

4章ではイスラエルの民が約束の地で生きながらえるために、最も大事なことがある、それはモーセが教える定め(フッキ―ム)とおきて(ミシパティーム)であるとして説明を加えています。

この定めとおきてはシナイ山で授けられた十戒のことですが、その時の状況を振り返り、モーセは「あなたの神は焼き尽くす火」(エシュ・オへレット)(4章24節)であり、「主はあなたがたを取って鉄の炉(クール・バルゼル)すなわちエジプトから導き出し自分の所有の民とされた」(4章20節)と述べ、苦しい奴隷状況であったイスラエルの民を救い、火をもって十戒を授けて契約を結ばれたのであるから、決して形のあるどんな像をも作って神としてならないと諭しています。

5章では十戒を再び掲げ、この契約は40年前の先祖たちではなく、今日われわれと結ばれたと述べられ(5章3節)、この契約が子々孫々守られ、長く生命が保たれることを神は願っているとモーセは民に告げています。

 ユダヤ教で最も重要な祈りは、6章4-5節の「聞け、イスラエルよ、われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛さなければならない」でシャマーの祈りと呼ばれるものです。
 4章、5章、6章を読むとなぜシェマーの祈りが発せられたのが、分かるような気がします。それはエジプトでの奴隷状態が、今日の民主主義の世の中では想像も及ばないような苦役であり、イスラエルの民が耐え切れずに叫んだ時に、イスラエルの神、主が強い手と伸ばした腕をもって、数々のしるしと不思議をもって導き出されたことを、忘れないで覚えてほしいとの神の願いがあるからだと思います。
 
 7章6節には「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。地の全ての民うちからあんたを選んで、自分の宝の民(アム・セグラー)とされた」とあります。それはイスラエルの民の数が多かったからではなく、かえって最も数が少ないにもかかわらず、一方的にイスラエルを愛し、アブラハムをはじめ先祖たちに誓われた誓いを守ろうとしたからだ(7章7-8節)とあります。

このイスラエルの民に対する神の愛がいかに激しいものであるかをここでも知らされます。

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