パラシャット・キー・タヴォーは申命記26章1節の「あなたの神、主が嗣業として賜る国にはいって」の「はいって」にあたります。
26章ではまず約束の地に入った時は、初物をもって主に感謝しなければならないことと一アラム人でしかなかった父祖ヤコブがエジプトに下ってからの救いの歴史が書かれています(1-11節)。特に苦しんでいたイスラエルの民を主が「強い腕と伸ばした腕をもって(ベヤッド ハザカー・ウビズロア ネトアー)」導き出したという表現は、神の強い愛を感じさせる言葉です。
29章1節に「これは主がモーセに命じてモアブの地でイスラエルの人々と結ばせられた契約の言葉であって、ホレブで彼らと結ばれた契約の他のものである」とあり、十戒以外にモーセを通してイスラエルに語られた言葉が、このパラシャーの主な内容で、主が語られた定めとおきてを守り行うと主の聖なる民となるというものです(26章19節)。
27章では、約束の地に入ったならば、これらの律法の言葉を石に書き記しエバル山に立て、祭壇を築き燔祭を捧げなければならない、ゲルジム山では民を祝福し、エバル山では呪わなければならないとあり、どんな時に呪われるかが書かれています。
28章で、その祝福と呪いとが具体的に描かれています。あまりにも祝福と呪いのコントラルトが強烈なので読むのに耐えがたいほどです。主の語られたおきてと定めを守れば祝福があり、守らなければ呪われ、主の賜る地から抜き去られるであろう(28章63節)とあります。これはBC8世紀のアッシリヤによるイスラエルの滅亡やBC6世紀のバビロン捕囚を思い起こさせます。真にモーセを通して語られたイスラエルの神は、歴史を通して働く生ける神であることをまざまざとこのパラシャーで知ることができます。
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