パラシャット・キーテツェーは、申命記21章10節「あなたが出て敵と戦う際」の「出て・・際」のヘブライ語です。このパラシャーも前のパラシャーと関連してイスラエルの民が約束の地に入った時に、どの様に生活していくのか実際の生活について何を基準にすべきかが書かれています。
まず捕虜についての扱い、特に女性の捕虜は気に入って妻とする場合は、途中で気に入らなくなったと言っても、奴隷のように売り渡してはいけない、自由に去らせること。妻を二人持って、一人は愛妻、もう一人は気に入らない妻の場合。二人とも男子を生んで、気に入らない妻が長子を生んだ場合は、愛妻が生んだ子を長子とすることはできず、財産は長子が二倍の分与を得ることができます。
つまり好き嫌いで妻を扱ってはならないことです。
21章18節―21節は、手に負えない子供の教育について。わがままで両親の言うことを聞かない子は、町の長老達にその旨を告げて、町の人が石で撃ち殺すと大変厳しいことが書かれていますが、「あなたがたのうちから悪を除き去らなければならない」(21節)とあり神の民のあるべき指針が示されています。
22節、23節では、死体を木にかけるときは、木にかけられた者は神に呪われたものだから、翌日まで留めて、主が賜る地を汚してはならない。
さらに22章でも、兄弟の牛、羊、ろば、着物、落とし物などを見つけた場合は兄弟に必ず返すべきことを記して相互扶助を明記しています(1-4節)。
男装や女装も神が忌み嫌われるものとして禁ぜられています。鳥の巣を見つけ、母鳥が卵か雛を抱いている場合は、雛だけをとること、家を建てる場合は屋根から人が落ちないように欄干を設けること、ブドウ畑には異なった二種類の種を混ぜてまかないこと、牛とろばを同じくびきで使用してならない、羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない、特に上着の四隅にふさをつけることは、ふさを見て主の諸々の戒めを思い起こして、それを行い、聖なるものとなるためであると民数記15章40節にあります。
次に悪を除き去る例として、結婚して妻が処女でなかった場合は妻が石撃ちの死刑、夫が妻の処女性を疑って処女であった場合は夫が銀100シケルを払って妻とする、既婚の女性を犯した男性を見つけた場合は二人とも石撃ちの死刑、婚約した処女を男性が町の中で犯した場合は二人とも石撃ちの死刑、野外で男性が婚約した女性を犯した場合は男性のみ石撃ちの死刑、未婚の処女を男性が犯した場合は、男性は女性の父親に銀50シケルを払い妻とする。父の妻との結婚の禁止、父の妻を犯すことの禁止が挙げられています。
23章では主の会衆(カハル アドナイ)に加入できない人として、去勢した男子、私生児とその十代までの子孫、イスラエルを厚遇せず呪おうとしたアンモン人とモアブ人が挙げられいます。エジプト人は3代目には加入できると記されています。カハル・アドナイは主の前に集められた集団、共同体とも呼べる集団でギリシャ語ではエクレシアと訳されています。
戦争に出て陣営にいる時でも陣営は聖なるところなので、汚れを避けなければならないし、イスラエルの女子、男子も神殿娼婦、神殿男娼になることは主の憎まれることでした。誓願を果たすことも主の求められることでした。また兄弟にものを貸すとき、利息を取らないこと。しかし隣人のブドウ畑や麦畑に入って器に入れたり、鎌で刈ったりしなければ、食べてもよいと定められています(23章9-25節)。
24章では、離婚された女が再婚してさらに離婚された場合に元の夫に嫁ぐことは主の憎まれること、新郎は一年間、戦争には出れない、ひきうすを質にとってはいけない、イスラエルの同胞を奴隷のように扱ったり、売ったりしないこと、ライ病になった時は祭司の指示に従うこと、隣人にものを貸すときは、質物は借りた人が貸す人に与え、質物が上着ならば日没までは借りた人に返すこと、特に貧しい雇人にはその日に賃金を払い、寄留の他国人や孤児の裁判は公正であるべきで、寡婦からは着物を質に取ってはならず、穀物の一束とオリーブの枝は寄留の他国人、孤児、寡婦のために残しておかなければならないとあります。
25章1節で人を裁くときは正しい者(ツァディーク)を正しいとし悪い者(ラシャ)を悪いとしなければなりませんとあります。ツァディークは義人の意味です。聖書では善と悪よりも義と悪が問題とされています。義とは神の性質を現わす語であり、悪とはその反対です。この基準で悪人に40回を超えて鞭打ってはならない、イスラエルに子孫を絶やさないために兄が子をもうけられない時は、兄嫁が弟ために子を産む、不正な重りやますを使ってはならない、神を恐れないアマレク人の名は天の下から消さなければならない(25章3-19節)と記されています。
このパラシャーは多岐にわたって実際の生活において神の民イスラエルがいかに生きるべきかが論じられましたが、神に従うもの(義)と神に離反するもの(悪)の二つがあることが語られたと思います。
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