いよいよ出エジプト記7章から十の災いが始まります。
モーセは神様からの言葉をイスラエルの民に語りますが、
彼らは心の痛みと、きびしい奴隷の務のゆえに、
モーセに聞き従わなかった。(6章9節)
とあります。
しかし神様は、
モーセにもう一度パロ王の前に行って
イスラエルの人々をエジプトから去らせるように
話しなさいと命じます。
でもモーセは、
イスラエルの人々でさえ、
わたしの言うことを聞かなかったのに、
どうして、くちびるに割礼のないわたしの言うことを、
パロが聞き入れましょうか。(6章12節)
と拒んでしまいます。
モーセの恐怖心と不安な気持ちが伝わってきますね。
ちなみにモーセが自分のことを
「くちぶるに割礼のない私」と表現しています。
ヘブライ語だと「אֲנִי עֲרַל שְׂפָתָיִם」となりますが、
いったいこれはどんな意味なんでしょうね??
恐れつつも、モーセとアロンはパロ王の前に立ちます。
そして、ここで登場するのが「アロンの杖」です。
この杖には神の力が宿っていたのでしょうか、
アロンがその杖を使うと不思議なことが次々と起きます。
この杖が、エジプトに災いを起こす道具となりました。
7章15節〜
あなた(モーセ)は、あすの朝、パロのところに行きなさい。
見よ、彼は水のところに出ている。
あなたは、へびに変ったあの(アロンの)つえを手に執り、
ナイル川の岸に立って彼に会い、そして彼に言いなさい、・・・
「見よ、わたしが手にあるつえでナイル川の水を打つと、
それは血に変るであろう。
そして川の魚は死に、川は臭くなり、
エジプトびとは川の水を飲むことをいとうであろう」と。
最初の災いがこれですか・・・恐ろしいです。
昔エジプトを旅した時、もちろんナイル川を渡りました。
穏やかで、幅があって、水量もかなりあります。
でも、それを飲むのは絶対に無理!と思うほど、
清水ではありませんでした。
でも聖書の時代は、このナイル川で人々の生活は潤され、
文明も栄っていったんですよね。
だからこそ、その生命の水ともいうべきナイル川が
血に変わってしまうとなれば、
もうそれは死活問題になります。
これ以上の災いはないと思うのですが、
それでも
パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。
パロは身をめぐらして家に入り、
またこのことをも心に留めなかった。(22-23節)
とあります。
十ある災いの1つ目「ナイル川が血に変わる」は7日も続いたそうです・・・。
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