今日は出エジプト記17章です。
17章では、大きくテーマが2つに分かれます。
①マッサ、メリバの泉
②アマレクとの戦い
イスラエルの人々の全会衆は、
主の命に従って、シンの荒野を出発し、
旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、
そこには民の飲む水がなかった。(1節)
荒野で飲む水を失ったイスラエルの民はどうしたか・・・
彼らは、再びモーセに不満をぶつけます。
そして、モーセと民のあいだで言い争いがおきてしまうんですね。
最終的にどうなったか。
主はモーセに言われた、
「あなたは岩を打ちなさい。
水がそれから出て、
民はそれを飲むことができる」。(6節)
モーセが、あのナイル川を2つに割った杖をもって、
岩を叩くと水が出た、という奇跡が起こりました。
しかし、モーセは民に対して嘆きます。
彼はその所の名をマッサ(試み)、
またメリバ(言い争う)と呼んだ。・・・
彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」
と言って主を試みたからである。(7節)
苦しい環境におかれた民は、
神様を疑う思いが湧いてきてしまいました。
彼らの神に対する信仰が、揺らいでしまったのです。
そんな時、道の途上で出会ったアマレク人と
戦うことになってしまいました。
この時に初めて登場したのが、戦いの特攻隊長であり、
やがてモーセの後継者となるヨシュアでした。
モーセはヨシュアに言った、
「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。
わたしはあす神のつえを手に取って、
丘の頂に立つであろう」。(9節)
モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。
モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、
手を下げるとアマレクが勝った。(10−11節)
ひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、
モーセの手をささえたので、
彼の手は日没までさがらなかった。(12節)
アロンとホルに支えられ、モーセが手を上げ続けていると、
ヨシュア率いるイスラエルの民は、勢い衰えることなく、
つるぎにかけて、アマレクを打ち破ることができました。
戦いに勝利したモーセは、そこに
一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。
そしてモーセは言った、
「主の旗にむかって手を上げる、
主は世々アマレクと戦われる」。(15節)
注目したいのは、この「主はわが旗」という単語。
יְהוָה נִסִּי(アドナイ ネスィ)と原文では書かれています。
ここで「旗」と訳されている単語「 נס(ネス)」は、
「旗」というのが元々の意味でしたが、
現代ヘブライ語では、「奇跡」という意味に変わります。
かつて「旗を掲げる」という行為は、現代において
「神の奇跡の表れ」という意味合いを含むようになった、
と私は感じました。
不満が溜まり、言い争うほど追い込まれていた民、
神様が私たちのうちにほんとうにいるのか?
とまで疑ってしまいます。
そこで神様は、アマレクとの戦いにおいて
モーセの祈りによって戦況が変わったこと、
また神様の御手によって勝利したことを
はっきりと民に知らしめました。
そして、モーセは奇跡の勝利を記憶するために、
「主こそ我らの旗、奇跡の印だ!」といって祭壇を築きました。
まさに、信仰の力が試された戦いであり、
信仰の力による勝利だったのですね!
「旗」=「奇跡」について、面白い話がありますので、
またいつか書き加えたいと思います。
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