出エジプト記1章 その「名前」とは?

出エジプト記の話

日本語では「出エジプト記」と呼ばれる、モーセ五書の第2の書。ヘブライ語聖書では「シェモット(名前)」として知られています。

なぜ訳が違うのか?

確かに、この書のテーマは「エジプト脱出(EXODUS)」です。しかし本家本元のヘブライ語聖書では、「名前(複数形)」となっている。
その由来は、この書の冒頭の一節に記された言葉からでした。

ヤコブと共に、それぞれ家族を連れてエジプトにやって来たイスラエルの子らの名は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、そしてユダ。 イッサカル、ゼブルン、そしてベニヤミン。ダンとナフタリ、ガドとアシェル。ヤコブから生まれた者は全部で七十人で、ヨセフはすでにエジプトにいた。(1−5節)

このように、「名前のリスト」から始まるのが、出エジプト記なんですね。

なぜ、名前のリストから始まるのか?

ヤコブの12人の子たちから、イスラエル十二部族が形成され、それが一つの大きな民族へとなっていきました。そのイスラエル民族の象徴であり、原点でもあるのが、この12人です。
民族の贖いが記されている出エジプト記は、この12人の名が出発点なんですね。

ヨセフとその兄弟たち、ならびにその世代の人々はすべて死んだが、イスラエルの人々は多くの子を産み、おびただしく増えて多くなり、ますます強くなって、国中に溢れた。(6−7節)

出エジプト記12章では、「イスラエルの人々がエジプトに住んでいた期間は、430年であった」と記されています。
ヨセフたちの時代にエジプトに降ってから、長い時が経ちました。民族として人は増え、力も強くなった。しかし、それを脅威と感じた人物もいました。

ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう」。(8−10節)

時の権力者が代わり、かつてヨセフがエジプトのために尽くした功績を知らない王が実権を握った時、イスラエル民族は脅威な存在と見られ、奴隷として重い労役を課せられるようになったのです。

偉大な先祖をもつ民族として、エジプトで栄えていましたが、400年以上に及ぶその期間、神の声を聴き、民を導くような人物が出現した様子は、聖書には記されていません。

創世記から出エジプトへと時代が移るところは、聖書では紙一枚めくるだけであっという間に場面が変わります。
しかし実際は、そこに記されていない400年の時が経過しており、その時代についてはほとんど触れられていないのです。

そのような時でした、この暗黒の時代を救うべく、一人の男子がここに誕生したのは!
その子の「」は、「モーセ」。
ここに再び、人の名前が登場することも、この書を読み進めていく上で大事なことなのかもしれません。

一人の指導者と、一つの民族による壮大な脱出劇が、ここに幕を開けたのです。

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