出エジプト記9章

出エジプト記の話

今日は出エジプト記9章です。
前章までに4つの災いがエジプトで起こりますが、
災いは収まることなく、より威力を増していきます。

5つ目の災い:激しい疫病 → 野にいるエジプト人の家畜がみな死んだ(6節)
6つ目の災い:うみの出る腫れ物 → 全てのエジプト人に腫れ物が生じた(11節)
7つ目の災い:大きな雹を降らす → 全て畑にいる人と獣を打った。
また畑の全ての青物を打ち、野のもろもろの木を折り砕いた
(25節)

ここまで読みまして、正直思いました、
「これだけの災いが起こって生き残っている人がまだいるのか!?」と。

全ての家畜も死んで、畑に出ていた人と獣は打たれてしまった。
そして、畑の作物や木までも砕かれた・・・
ほんとうにカオス的な状況ですね。

モーセが預言したことがすぐに起こるのを見て、
パロの家来のうち、主の言葉をおそれる者は、
そのしもべと家畜を家にのがれさせた。
(20節)とあるように、
神を恐れるエジプト人は助かったことも記されています。

もうこれ以上は耐えられない!なんと恐ろしい神だろうか!
といった叫びたくなるような驚くべき災いが次々と起こりました。
こんな状況でイスラエルの民に被害が及ばなかったの?
との疑問も湧きます。
しかし不思議とイスラエルの民は、どんな災いの時でも神様から守られていました。

イスラエルの人の家畜は一頭も死ななかった(6節)
イスラエルの人々がいたゴセンの地には、雹が降らなかった(26節)

8章22節を読みますと、
わたしの民の住むゴセンの地を区別して、
そこにあぶの群れを入れないであろう

と記されています。

ゴセンの地」はかつて、ヨセフがパロ王にお願いして
ヤコブの一家に与えられた場所であり、
エジプトの国で最も良い地でした。
彼らはゴセンの地に住み、そこで財産を得、
子を生み、大いに増えていきました
(創世記47章)。

ヤコブの時代からモーセの時代までは約400年の隔たりがあり、
当時のイスラエルの民にとってゴセンの地は
辛い奴隷生活を虐げられた場所にすぎなかったかもしれません。
しかし神様はその「ゴセンの地」を忘れず、見捨てず、
災いが及ばないように守られました。

大きなエジプト国の全土に災いが起きているのに、
イスラエルの民がいた「ゴセンの地」だけは守られていた
というのはどうしてなのでしょうか。

国の中でわたしが主であることをあなたが知るためである。(8章22節)
の一言が全てを物語っているように思いました。

このコロナ禍にあって、
神様が特別に区別して被害が及ばないように守っておられる場所がある
ということを、もっと感じられるようになりたいですね。

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