今週の聖書(パラシャット・シャブア)
2月14日(日)〜2月20日(土)
出エジプト記25章1節〜27章19節
パラシャット・シャブアの「テルマー」は25章1節の
「私のためにささげ物を携えてこさせなさい」の
ささげ物を意味します。
なぜ神はモーセにこのように言われたのでしょうか。
前の週で契約の書をシナイ山で神から授かった時、
民は「はい、行います。そして聞きます」
(ナアセー ヴェ ニシマー)と答えました。
神のおきてを行うと言っても本当に命じられたことを
行うかどうか、神が試されたのかもしれません。
ただし、ここで神の命じられたことを行うと言っても
「心から喜んでする者からささげ物を受け取りなさい」
という条件が付けられました。
ささげ物は幕屋をつくるためでした。
幕屋とは「会見の幕屋」とか「出会いの幕屋」とか呼ばれ、
神が民のうちに住む(シェキナー)ためで、その型は
神がモーセに示すと書かれてあります(25章8-9節)。
示されたものは聖所であり、十戒を納める金箔の箱、
その上に純金の贖罪所、贖罪所の両端に翼をもつ
ケルビムを向き合って設置します。
神は贖罪所のケルビムの間からすべて命じることを
民に語ると言われました(25章22節)。
ケルビムとは生命の木の道を守るために神が
エデンの東に置かれた守り神のようなものと思われます(創3:24)。
さらに供えのパンをのせる金箔のアカシヤ材の机、
聖所を照らす七枝の純金の燭台、青銅を塗った祭壇、
聖所をおおう天幕、特に聖所と十戒の入った箱が
ある至聖所をへだてる垂れ幕をつくるように命じられます。
これらは一体何を意味するのでしょうか。
これはやはり前述のように至聖所において、
神が親しくイスラエルの民と語るためではなかった
のではないでしょうか。
十戒のおきてを行うと言っても神が語るのを聞きながら行う。
操り人形のようにただ行うのではなく、神のパートナーとして
対話しつつ喜んで行うことを意味してるのだと思います。
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