出エジプト記5章

出エジプト記の話

今日は出エジプト記5章です。
エジプトで奴隷となっているイスラエルの民を救い出すために、
神様からパロ王のもとに送り出されたモーセ。
その任務を果たすために兄アロンと共に
パロ王のもとへ訴えに行きます。

そして、
イスラエルの神、主はこう言われる、
「わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい」。
(1節)
とパロ王に告げますが、
主とはいったい何者か。
わたしがその声に聞き従ってイスラエルを
去らせなければならないのか。
わたしは主を知らない。
またイスラエルを去らせはしない。
(2節)
とはね返されてしまいます。

そうですよね、もしここで簡単にOKしたら、
430年経つ前にもっと早くお願いしておけば良かった・・・とかなりますよね。

完全に怒ってしまったパロ王は、
あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ。
それだから、「行って、主に犠牲をささげさせよ」と言うのだ。
(17節)
と言います。

パロの逆鱗に触れ、奴隷に対する労働はさらに重くなり、
結果的に民を苦しめることになってしまいました。

そして22節では、
モーセは主のもとに帰って言った、
「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか。
なんのためにわたしをつかわされたのですか。
わたしがパロのもとに行って、
あなたの名によって語ってからこのかた、
彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです。
また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません」。

と書かれています。

ちなみに原文はこのような感じになっています。
וַיָּשָׁב מֹשֶׁה אֶל-יְהוָה, וַיֹּאמַר: אֲדֹנָי, לָמָה הֲרֵעֹתָה לָעָם הַזֶּה–לָמָּה זֶּה, שְׁלַחְתָּנִי

この5章を読むと、天命に立ち上がったモーセですが、
パロやエジプト人、さらに同胞にも恨まれるようになり、
嘆くように神に語りかけているのがよくわかります。

モーセは主のもとに帰った」とありますが、
モーセはこのような窮地に立たされて、まず神に立ち返りました。

立ち返るべきところは神のみ!
この一大事をアロンや他の長老たちに相談しても良かったかもしれない。
しかしモーセは、自分をこの場に遣わした神にまず立ち返ることをしました。
そして、「なんのためにわたしをつかわされたのですか」と自分の弱さに嘆き、
責める思いで神様に訴えていたのかもしれません。

国や民族を導こうと思う人は大抵、
自らの権威と力でその地位を勝ち取ろうと活動しますよね。
でも、モーセのように神様に召され、
霊的に民を導こうとするならば、
試練や矛盾は多く通るはずです。
そして、自分の弱さを痛感してしまいます。
でも、自分の限界を越えていく時に、
神様の御手の業はよりはっきりと見え、
確信へと変わっていくのかもしれません。

倒れるは立ち上がるため!
モーセが天の試練をどう乗り越えていくのか、
そしてこの先どうなっていくのか、とても楽しみです。

写真は、エジプトの古家跡にいたエジプト人。
エジプト人だからといって悪い人たちではありませんので・・・

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