今週の聖書(パラシャット・シャブア)
1月17日(日)〜1月23日(土)
出エジプト記10章1節〜13章16節
今回のパラシャーの「ボー」は10章1節の
「パロのもとに行きなさい」の「行きなさい」の意味です。
なぜ主はそうもーせに言われたのか。
それはパロとその家来たちの心を頑なにするためでした。
ここから壮大な出エジプトの過ぎ越しの祭りの
ストーリが展開されます。
主がモーセによって頑ななパロからイスラエルの民を
出エジプトさせるために行った8番目のイナゴと
9番目の闇の災いの後、11章4節に最後の10番目の災いが
「真夜中ごろ、私はエジプトの中を出て行くであろう。
エジプトの国のういごは、位に坐するパロのういごをはじめ、
ひきうすの後ろにいる、はしためのういごに至るまで、
みな死に、また家畜のういごもみな死ぬであろう」
とあります。
それではなぜエジプトのういごは全て死ななければ
ならなかったのでしょうか。
13章14節に
「主が強い手をもってわれわれをエジプトから、
奴隷の家から導き出された。その時パロが頑なで、
われわれを去らせなかったため、主はエジプトの国のういごを、
人のういごも家畜のういごも、ことごとく殺された。
それゆえ、初めて胎を開く男性のものはみな、
主に犠牲として捧げるが、私の子供のうちのういごは、
全て贖うのである」とあります。
これはイスラエルの民が奴隷の桎梏から解放され
神の民となるためには、エジプトのういごが
全て殺されるという犠牲が払われ、
その代償としてイスラエルの民のういごが
贖われるということだと思います。
ただでは救われなかったことを示しています。
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