今日は出エジプト記11章です。
最後の災いについて神様がモーセに告げる場面からこの章は始まります。
主はモーセに言われた、
「わたしは、なお一つの災を、パロとエジプトの上にくだし、
その後、彼はあなたがたをここから去らせるであろう」(1節)
その言葉をモーセは民に伝えました。
主はこう仰せられる、
「真夜中ごろ、わたしはエジプトの中へ出て行くであろう。
エジプトの国のうちのういごは、位に座するパロのういごをはじめ、
ひきうすの後にいる、はしためのういごに至るまで、みな死に、
また家畜のういごもみな死ぬであろう」(4節)
神様は「エジプトの国にいるういごはみな死ぬであろう」と預言されます。
ということは、
イスラエルの民のういごも撃たれてしまうのではないか・・・
と思いますが、
神様はこのように続けます。
すべて、イスラエルの人々にむかっては、
人にむかっても、獣にむかっても、
犬さえその舌を鳴らさないであろう。
これによって主がエジプトびとと
イスラエルびととの間の区別をされるのを、
あなたがたは知るであろう。(7節)
イスラエルの人に対しては、どんな犬ですら、
人に向かっても、また獣に向かっても、うなり声をたてない。
つまり、犬でさえもイスラエルの民に敬意を表すであろう。
それほどに神が2つの民を区別していることを知るであろう、
と言われます。
10番目の災いは、どうみても残酷な災害です。
そこまでしなければイスラエルの民はエジプトを
脱出することができなかったのかもしれません。
それ以上に神様は、イスラエルの民が特別に区別され、
このような災いの中も守られている、ということを知ってほしいというのが、
この災いの真意だったりするのかもしれません。
ここで「区別する」という単語はヘブライ語ではどうなっているか。
“יַפְלֶה”(ヤフレー)という動詞は、
「(神様が)特別な扱いをする、区別して扱う」という意味があります。
単に2つのものを別けるといった程度の意味ではありません。
あぶの群れが発生した時も、激しい疫病がおきた時も、
イスラエルの民は神様によって特別に区別されました。
恐ろしい災いの中にも、神様にしかできない不思議なことを
イスラエルの民に見て感じてもらいたい、
という神様のお心が感じられますね。
さぁ、次はいよいよエジプト脱出へとステージが変わっていきます!
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