ユダヤの民を導いた旗 -知られざる国旗の歴史をたどる-

出エジプト記の話

前回の出エジプト記17章で「旗」=「奇跡」ということに触れて書きました。それにまつわる面白い話と言いますか、この式を裏付ける物語を見つけたことがありますので、少し長いですがここに紹介します。

先日、イスラエルは独立73年の記念の時を迎えました。独立記念日には、イスラエル中に国旗がたくさん掲げられます。日本では考えられないほどですね。皆さんもイスラエルの国旗といえば、どのようなデザインなのか、すぐに思い浮かぶと思います。

1948年5月14日、初代首相ダビッド・ベングリオンが独立宣言を読み上げ、ここにイスラエル国が誕生しました。しかし独立宣言がなされたその日には、まだ正式な国旗というものは存在していなかったのです。では「イスラエル国旗」がどのように選定されたのか?
そこには知られざる逸話があったのです。

シオニズム運動のシンボル旗
1897年のある日のこと。スイスのバーゼルでもたれようとしていた第一回世界シオニスト会議に向け、ヘルツェルはその準備に精を出していました。彼はこの会議がきっと夢のユダヤ人国家へ向けての糸口となると信じていたからです。しかしこのシオニスト会議に向けてヘルツェルは一つのことを思い悩んでいました。
「我々には旗がない。我々はそれを必要とする。多くの人間たちを導こうとするとき、彼らの頭上に一つのシンボルを掲げなければならない」。
そして彼は白地に7つの金の星を描いた旗をシオニズム運動のシンボル旗にどうかと提案しましたが、これはあまり他のシオニストたちからは受け入れられませんでした。困り果てたヘルツェルは、友人であったダビッド・ヴォルフマンに、ユダヤ民族を象徴するようなシンボル旗を作るよう頼みました。しかし、これはダビッドにとっても非常に難しい問題でした。いったい何をシンボルにしたらいいのか、どんな色が相応しいのかも見当がつかなかったのです。
そんな時、霊感的にダビッドの頭に浮かび上がったのは、ユダヤ人が祈祷の時に羽織るタリートという祈祷布でした。彼はすぐさま自分のタリートを皆の前に広げて見せました。そして、このタリートのように白地に青色の線を二本入れ、中心にはダビデの星を描いた物を我々のシンボル旗としようと提案、すぐに皆の心を捉え、これがシオニズム運動のシンボル旗となったのだした。

国旗をめぐっての論争
そして50年近く、世界中でシオニズム運動の象徴として振られ続けてきたこの旗は、ユダヤ民族の奇跡の象徴として誰からも受け入れられ、これが永遠にユダヤ民族の旗になるであろう、と誰しもがそう思っていました。しかし、建国がなされた1948年の5月以降、一つの問題が浮上してきました。それは、このシオニズム運動のシンボル旗を新しいユダヤ人国家の旗として使うのが相応しいかどうかという点でした。
この問題に対する論争論議は長引き、ついにはイスラエル国の立法機関であった臨時国家評議会(今でいう国会)が、今まで伝統的かつ象徴的な形として使われてきたシオニズムのシンボル旗と、国旗とをはっきりと区別できるよう、新しく国の旗を作ると決定したのです。それというのも、もしシオニズムの旗が国旗に変われば、離散の地で生きているユダヤ人にとって、政治的運動の旗として他国の旗を掲げることになってしまう。その行為が、裏切りかつ挑戦と思われても不思議ではないという懸念から、他国にあるユダヤ人共同体の立場を踏まえ、混乱を引き起こさないための必然的提案でした。

国旗採択までの道のり
しかし、評議会の中ではなかなか適当なシンボルマークが決まらず、困り果てた末とった策は、なんと市民からイスラエル国を象徴する旗を募る国旗デザインコンテストの実施でした。そしてその反響は良く、総計164の案が評議会に提出されたのです。その中には、7つのロウソクがダビデの星を描くようなデザインなど、試行錯誤された作品がいくつも寄せられた。
最終的に評議会では、一人のグラフィック・デザイナーがデザインした案を取り入れる方向に決まりました。それはヘルツェルが最初主張した7つの金の星を真ん中いれ、上下に青色の線を入れた旗でした。しかし、これに対しても、「星は7つも要らない、1つダビデの星があれば良い」と主張する人がいれば、「獅子のマークのほうが象徴的だ」、「星は完全に消したほうが良い」と同床異夢になり、結局これが国旗だとは妥結されず、決裂状態のまま建国からすでに数ヶ月が過ぎてしまいました。
そして10月末にもたれた臨時国家評議会はすべに28回目を数えようとしていましたが、この場でついに一人の男が立ち上がりました。二代目大統領となったイツハク・ベン・ツビィーです。彼は声高らかに、「この旗は50年間もシオニズム運動のシンボルであったではないか!それだけでこれを国旗と定めるのに十分ではないのか!」と叫びを上げました。
その声も反映したのか、その会議の最後に行われた最終投票の結果、ついにシオニズムの旗が国旗として認定、半年間近く続いた国旗を巡る論争は幕を閉じたのでしだ。

旗を掲げる意味とは
「旗」という単語はヘブライ語で「דגל(デゲル)」と言いますが、聖書時代には旗を示す単語は別の単語を用いていました。
イザヤ書5書にも「主は旗(נס(ネス))を上げて遠くからひとつの国民を招く」と書いてあるように、旗を表すときには「נס(ネス)」という単語を多く使っています。そしてこの「נס(ネス)」という単語は、現代ヘブライ語においては「奇跡」を示す単語であります。「主が奇跡ををもって遠くから国民を招く」とも読めるのではないでしょうか。
聖書時代において旗を掲げるということは、まさに神の御手が働き、そこに奇跡が起きたことを示すために旗を掲げていた、といっても過言ではありません。まさにイスラエルの地に、イスラエルの国旗が翻えったのは、神様が成したもうた奇跡であり、その旗の下に多くのユダヤの民が集められてきたのです。

ヘルツェルは国旗について、「国旗こそ、人間がそのために生命を捧げることができる唯一のものである」と述べた言葉が私の心に残っています。どの国にも国旗はありますが、どれとして同じ国旗はありません。しかし、たとえ布一枚のシンボルであっても、多くの人は自国の旗を見れば一国民としての誇りと名誉、また背負う責任の重さを感じるはずです。そこにはその旗に深い歴史があり、未来への希望が含まれているからではないでしょうか。

毎日当たり前のように見ていた日章旗も、他国にあって掲げて見るときに、日本に対してまた一段と熱いものがこみ上げてきたことを思い出します。私もまた、主の御旗を日本の地に掲げる者でありたいと思います。

コメント