出エジプト記も16章まできました。
「エジプト脱出」という大きな目的を果たしたイスラエルの民、
彼らが次に目指した地は・・・いったいどこ?
わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、
これをかの地から導き上って、
良い広い地、乳と蜜の流れる地、
すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、
ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に
至らせようとしている。(出エジプト記3章8節)
そう、すでに神様は、彼らを救出する以前から、
「乳と蜜の流れる地」=カナンに導くと約束されていました。
しかし一向にその目的地は見えてきません・・・
エジプトの地を出て二か月目の十五日に、
エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきたが、
その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、
モーセとアロンにつぶやいた。(1-2節)
荒野がどのような場所か、3日も歩けばわかります。
私なんか、イスラエルの荒野を旅していた時、
1日60km歩いたあげく、迷子になってしまったことがあります。
荒野ハイキング、なめてかかると死にます・・・
私は1日で死にかけました。
それぐらい過酷な荒野を、すでに2ヵ月半歩いたとなれば、
体はクタクタになりますね。
それまで我慢していた民も、先が見えない荒野の旅に疲れ果て、
モーセとアロンにつぶやいてしまいます。
イスラエルの人々は彼らに言った、
「われわれはエジプトの地で、
肉のなべのかたわらに座し、
飽きるほどパンを食べていた時に、
主の手にかかって死んでいたら良かった。
あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、
全会衆を餓死させようとしている」。(3節)
ここで「つぶやく」と訳されているヘブライ語は、
“וַיִּלּוֹנוּ”という単語です。
意味としては「つぶやく」というよりかは
「不平不満を言う」という意味が強いように思います。
囁くように言ったわけではなく、
たまりにたまった不満をぶつけてしまったのですね。
その理由は、やはり食べ物でした。
エジプトでは肉やパンを飽きるほど食べていた。
今思えば、奴隷の待遇も悪くなかったよな・・・
と昔を回顧しては、過去の生活のほうが良かったと
文句を言ってしまいます。
その「つぶやき」を聞いた神様は、モーセにこう伝えました。
見よ、わたしはあなたがたのために、
天からパンを降らせよう。
民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。
こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。
六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、
それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう。(4-5節)
なんと、地上に食物を実らせるのではなく、
天からパンを降らせて、それを食べるように命じました。
そして、朝に夕に天から食物が与えられ、
6日目には、2倍のパンが与えられた、と記されています。
(7日目は安息日で、神様も民も休むからです)
でも、その食物とはどんなものだったのでしょうか?
フランスパン?それともアンパン?
朝になると、宿営の周囲に露が降りた。
その降りた露がかわくと、荒野の面には、
薄いうろこのようなものがあり、
ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。・・・
モーセは彼らに言った、
「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである」。(13−15節)
イスラエルの家はその食物の名をマナと呼んだ。
それはコエンドロの実のようで白く、
その味は蜜を入れたせんべいのようであった。(31節)
それは「マナ」と呼ばれ、
ヘブライ語の“מָן”(マン)という語からきています。
まさに神様が作り出した超絶的な食べ物、
その外見は白く、その味は蜜を入れたせんべいのようでした。
??
いったい、どんな味なんだろう・・・
たぶん、
蜂蜜を塗って焼いた薄くて小さい白いクッキー、
とイメージしたらいいですかね。
珍味のような食べ物「マナ」ですが、
イスラエルの人々は人の住む地に着くまで
四十年の間マナを食べた。
すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまで
マナを食べた。(35節)と記されています。
40年間食べ続けたマナ、
まさにイスラエルの民を守り続けた天からの食物でした。
荒野にあって、天から与えられる食物が、
民の魂の糧になっていたのだと思います。
荒野をジープツアーで回った時に、
現地のガイドさんが、マナと考えられる食物を教えてくれました。
よかったらご覧になってください!
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