今週の聖書(パラシャット・シャブア)
3月21日(日)〜3月27日(土)
レビ記6章1節〜8章36節
ツァヴ「火と光のバランス」
パラシャット・ツァブのツァブは、
レビ記6章9節の「アロンとその子達に命じて言いなさい」の
「命じる」にあたります。
これは主がモーセに命じたもので、
先回のパラシャット・バイクラーは、
イスラエルの民がどのような捧げものをしたかを述べましたが、
このパラシャ―では、その捧げものをどのように
大祭司アロンとその子達の祭司が捧げるかが述べられています。
まず9節に、燔祭は祭壇の燃える炉の上に常にあり、
祭壇の火を燃え続けさせなければならない。
また12、13節には「火は絶えず祭壇の上に燃え続けさせ、
これを消してはならない」とあります。
特に9節の「祭壇の火を」は原文では「トゥカッド ボ」で、
これは祭壇の火ばかりではなく、
「彼の中に、祭司の心の中に火を燃え続けさせる」とも読めます。
ユダヤ教のハシデイズムの人々は、
これをエクスタシーの熱情の火だと解釈しています。
民が神に近づこうとして捧げた自分の所有物である燔祭は、
アロンの子の祭司達がこの祭壇の火で焼き尽くします。
それから7章の終わりまで、素祭、罪祭、償いの供え物、任職祭、
酬恩祭の犠牲の捧げ方が述べられていて、いずれも祭司達が、
犠牲の動物の血を祭壇に注いで民の罪の贖いをし、
残ったものは祭壇の火で焼き尽くしました。
そして犠牲の動物の肉は祭司の分として聖所で食べることができました。
8章では、祭司がこの職務を全うするためには、
出エジプト記29に記されているように、祭司自身が聖別されなければ
ならないとして、モーセがこの聖別を行ったことが書いてあります。
それは幕屋の入口に集ったイスラエルの全会衆の前で、
モーセはアロンとその子達を水で洗い清めた後、祭司の衣服を
着せて注ぎ油を注ぎました。
その後、アロンとその子達は、罪祭の雄牛、燔祭の雄羊、
任職の雄羊の頭に手を置いて聖別を願い、
モーセは、その血を祭壇の四隅と祭壇に注いで
彼らの聖別と贖いをしました。
この任職祭は七日間続き、アロンとその子達が死ぬことがないように、
モーセは主が命じられたように任職祭の全てを行いました(8章35節)。
このことは、イスラエルの民が聖なる民となるために、
アロンとその子達の祭司が、喜びの火に燃やされて祭司職を行うためには、
生命がけの聖別が必要であり、容易なことではなかったことが分かります。。
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