今週の聖書(パラシャット・シャブア)
4月4日(日)〜4月10日(土)
レビ記9章1節〜11章47節
パラシャット・シェミニのシェミニは
9章1節の「モーセは八日目に言った」の
八日目にあたります。
モーセが生命がけの七日間の任職祭を終えた次の日の
八日目を意味します。
この日、実際にアロンとその子達は自分自身のため、
またイスラエルの民のために、罪祭、燔祭、酬恩祭を
捧げて贖いをしたわけです。
すると主の栄光が全ての民に現れ、主の前から
火が出て燔祭を焼き尽くしました(9章24節)。
ところが10章では、アロンの子ナダブとアビフが
異火を主の前に捧げるという事件が起きます。
これは主の命令に反すると10章1節に書かれています。
異火の「異」はヘブライ語でザルと言い、
奇妙な、変な等の意味があります。
なぜこのような火を捧げたのでしょうか。
多分、普段祭司が灯し続ける祭壇の上の火ではなく、
普通の火だったのかも知れません。
また8節にあるように、祭司が禁ぜられている酒を
飲んでいたためかも知れません。
その為に2人は主の火で焼かれて死に、
アロンの叔父ウジエルの子ミシャエルとエルザパンが
死体を運び出します。
主は近づく者に聖なることを示し、全ての民の前に
栄光をあらわすと3節にありますが、聖なる神の前に聖でない、
異なる火を捧げたために死んでしまったのではないでしょうか。
10節にも祭司の務めとして、聖なるものと俗なるもの、
汚れたものと清いものを区別しなければなりませんと書かれています。
11章には、今でもユダヤ人が守っている食物規定(コーシェル)の
リストが掲げられています。
ホテルやレストランではユダヤ人のために
コーシェルの食事を用意していますし、
コーシェルは英語の辞書にも載ってるほどよく知られています。
ユダヤ人は清いものは食べてよいが、汚れたものは食べられません。
それほど、この区別は大事なのです。
これは全て「わたしは聖なるものであるから、あなたがたは
聖なるものとならなければなりません」(45節)からきています。
ちなみに、コーシェルとはヘブライ語で
「適した、ふさわしい」という意味です。
ですから、信仰生活をするなら、何でもかんでも食べてよいと
いうわけはないということなのでしょうか。
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