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人物篇

回心前のサウロ ── 迫害者の、内なる闘い(人物篇03)

パウロには、教会を荒し回った迫害者の過去がある。尊敬しづらい、その一番暗い場面から始めたい。木下は、激しく迫害する若きサウロの内側に、押し殺された一つの疑いを読み取る。
人物篇

パウロという人 ── 生まれ、育ち、プロフィール(人物篇02)

ユダヤ人でありながらローマ市民、ファリサイ派の学徒でありながら手に職を持つ天幕職人。パウロの生い立ちを一枚のプロフィールにまとめる。彼の育ちを知ると、手紙の言葉が立体的になる。
書簡篇

パウロの手紙は、なぜ読みにくいのか

パウロが難しいのは、あなたのせいではない。手紙が「おおむね長い順」に並び、いちばん重いローマ書が先頭に来ているだけ。並び順のからくりと、どこから読むといいかを解きほぐす、シリーズの入口。
書簡篇

テサロニケの信徒への手紙 二 ── 働こうとしない者は、食べるな(読解ノート02)

「働こうとしない者は、食べるな」。世の終わりが近いからと仕事をやめた人々へ、パウロは地に足をつけよと命じる。夜昼働いた彼だからこそ言えた、日常を手放さない信仰。
書簡篇

テサロニケの信徒への手紙 二 ── 主の日は、まだ来ていない(読解ノート01)

「主の日が既に来た、と言う者があっても、あわててはいけない」。終わりの日への不安に揺れる教会へ、パウロは落ち着けと書く。終末の希望は、人を焦らせるためではなく、立たせるためにある。
書簡篇

ガラテヤの信徒への手紙 ── 生きているのは、もはや私ではない(読解ノート03)

「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられる」。木下が「パウロの神学の中核」と呼ぶガラテヤ2:20。ここまで来て、尊敬できなかったパウロへの敬意が、ようやく本物になる。
書簡篇

ガラテヤの信徒への手紙 ── 律法の行いによるのではなく(読解ノート02)

「人が義とされるのは、律法の行いによるのではない」。ガラテヤ2:16は、努力の報酬として神に認められようとする生き方を、根こそぎ問い直す。断定的に見えたパウロが、実は重荷を降ろさせる人だと分かる一句。
書簡篇

ガラテヤの信徒への手紙 ── ほかの福音はない(読解ノート01)

「たとい天の御使であっても、のろわれよ」——ガラテヤ書の激しい出だし。独善に見えたこの怒りが、実は恵みを守ろうとする必死の愛だったと分かるとき、尊敬できなかったパウロが違って見えてくる。
詩篇 by 929

詩篇25篇 いろは歌の祈り ―― ひとりの願いが民の願いになる

「私は孤独で、苦しんでいます」と訴えた詩が、最後の一行で「イスラエルを贖ってください」と結ばれます。ひとりの祈りは、どこで民の祈りに変わるのでしょうか。青木先生はこれを不完全ないろは歌と呼び、ラシーはその「ひとり」が何を指すのかを説きました。
詩篇 by 929

詩篇24篇 門よ、頭を挙げよ ―― 二つの隊が歌い交わす

契約の櫃が戦から帰り、シオンの門に着きます。青木先生はここに二隊の交唱を細かく復元し、ラシーは門が開かなかったという伝承を伝えました。形式から入った人と物語から入った人が、同じ「門の前の待機」に行き着きます。
詩篇 by 929

詩篇23篇 乾いた森で ―― 安心の詩が生まれた場所

「主はわが牧者、私は乏しからず」。この一行は豊かな牧場ではなく、土器のように干からびた森で詠まれたとラシーは伝えます。青木先生もまた、この詩には三つの暗い影があると書きました。安心の詩は、安心な場所からは生まれていません。
詩篇 by 929

詩篇22篇 唾が乾く ―― 読みが分かれ、一語で重なる

「わが神、わが神、なにゆえ」で始まるこの詩を、青木先生は十字架の記述として読み、ラシーは捕囚とエステルの物語として読みました。読みは大きく分かれます。それでも第15節の一語で、二人はまったく同じところに立っています。